2005年04月04日
プリントTシャツの舞台裏(2)ニュー・アーティスト・セレクション ~「考える人」2005年春号〜
~「考える人」2005年春号(新潮社)より転載~
Tシャツを、もっと自由に、面白く。
ユニクロTシャツプロジェクト2005
ユニクロのタブーだったプリント技術の採用
今年のTシャツはユニクロのなかでこれまではタブーとされていた技術が使われている。
それは「抜染」の技術である。
「抜染」とは、一度染められた色を抜いた上で、新たに染め直す技法である。
たとえば、全体が黒く染められたTシャツがあるとする。その上に白い丸を、抜けるように白くプリントしたい。しかしそのままプリントすると下地の黒が透けてしまうので、白丸の部分はどうしてもくっきりとした白にはならない。プリントだけで真っ白にするためには、三度も四度もプリントし直すことになる。ところが、重ね塗りを繰り返すと、肌触りがゴワゴワしたものになってしまう。
それを避けるにはどうするか。白く染める部分の、黒の染料を落としてしまえばいい。その上に白をプリントすれば、白は鮮やかで抜けるような白になる。これを「抜染」という。
しかしユニクロは「抜染」の技法をこれまでずっとタブーにしてきた。それは何故かといえば、「抜染」は作業をする際の湿度や気温など様々な条件で微妙な影響を受け、色の抜け具合、仕上がりにバラつきがでやすい。ユニクロの商品は品質最優先であり、同じ商品の色合いや肌触りはつねに均質であることを絶対の条件にしている。同じ商品なら、全国どの店にいっても、同じ色合いであり同じ着心地でなければならない。
したがって、「抜染」の技術は使ってはならないものだった。
ところが今回はタブーだったテクニックを採用することになった。均質性にこだわりすぎてばかりいては、多種多様で魅力的なTシャツのビジュアルの再現性が犠牲になりかねないからだ。「抜染」の技術が使えないと、着心地にも影響を与えてしまう。Tシャツというジャンルを「もっと自由に、面白く」するためには、品質管理の考え方にも柔軟性がもとめられたわけである。Tシャツプロジェクトは三年目。新たな大きな挑戦に向かって動き出した。
頭の下がることもあれば喧嘩をすることもある
一番苦労するのは生産部と工場である。何しろユニクロの品質管理の厳しさは骨の髄まで染み渡っている。食べ物を食べるときには音を立ててはいけない、と育てられてきた欧米人に、「蕎麦はすすって食べるものだ」と教えても、なかなか「ずずずーっ」と音を立てるわけにはいかないのと同じなのだ。
生産部の関川氏の話。
「抜染はどうしても品質にムラが出ますから、許容範囲を決めて設定しても、やはりどうしても使えないものが出てしまいます。工場にとってはロス率が高い。だからやりたがらない。今回は抜染でやりますって説明すると、どこの工場でも『どうしても受けなきゃ駄目でしょうか?』っていうのが最初の反応です。工場で検品する担当者も、うちの品質管理の厳しさが染み込んでますから、サンプルを横に置いて検品すれば、どうしたってはじきたくなる。普通にやれば、抜染の工程を経た商品の三割以上が検品ではじかれることになります」
「抜染は染まっている生地の色を抜く技術なので、染料の問題にもなってくる。抜きやすい顔料を選ぶ方法もあります。でもユニクロは色落ちの基準も厳しいから、その方法はとれません。黒く染める前段階には、他にも伏兵がいます。色合いを安定させるため、工場の判断で染め直ししている場合がある。これをやられてしまうと抜染で色がきれいに抜けなくなるんです。それぞれの工場に全体の設計をきちんと説明しておかないと、最終局面でガタガタになってしまいます」
「この範囲でのブレは認めますって約束をしても、色を安定させるため顔料に一〇パーセントぐらいラバーを混ぜたりする。安定させる裏技です(笑)。サンプルを触ってみると、何かゴワっとする。『これ、入れてませんか?』って問いただすことになるわけです。それじゃあどうすればいいか。結局は工場にこまめに足を運んで、お互いの顔を見て、コミュニケーションをしっかりとるしかない」
「ある工場では、本生産に入る前に、抜染の仕上がりを安定させるにはどうしたらいいかって、自前で四、五百枚作って試行錯誤していた涙ぐましいケースもありました。かと思えば、ある工場ではプリント・テクニックをこう変えたいって、自分たちのやり方を押し通そうとしてきた場合もある。頭の下がることもあれば、喧嘩になることもあります」
「MDの進藤もデザイナーも、今年はどうしてもTシャツに馴染んだプリントにしたいっていう、その『どうしても』が凄く強かったので、それなら協力するしかないなって覚悟を決めたんです。新しい価値を創造するリスクなら背負いたい」
「抜染は大量生産には使わないのが常識ですけど、もしその技術を工場が獲得できれば、彼らにとっても大きい。工場は技術力が勝負です。あそこは抜染がうまいと評判になれば工場の価値も上がります。労力は無駄にならないはずです」
世界レベルのクリエーターと創造の現場をともにする興奮
デザイナーにも話を聞いた。デザイン研究室の松沼氏は、ユニクロに入社する前は、小規模なアパレルで「販売兼プレス担当兼デザイナーのアシスタント」をやっていた。なんでも経験してきたことが強みになっている人である。約一年前に入社し、今回のTシャツ・プロジェクトを割り振られた。ロンドン、パリ、ニューヨークのアーティストをフィーチャーする「ニュー・アーティスト」部門のデザイン担当である。前篇で触れたように、パリのセレクトショップ「コレット」のサラさんのメールアドレスも、入社前に培った人脈がものを言い、つきとめたらしい。しかしサラさんとのやりとりも順調だったかといえば、そうではない。
「とにかくつかまらない。メールの返事も遅いんです。だけどサラさんは凄いポリシーがあるし、プライドも高い。クオリティも求めてくる。うまく着地するのかどうか最初はちょっと不安でした。でも、彼女が送ってきたアーティストのなかにフローレンス・デガがポンと入っていたりするから、興奮もします。やっぱりコレットは凄いなあって、ため息が出ました。デカプリオ主演のスピルバーグ作品『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』って映画がありましたよね、あの映画のオープニング・アニメーションを作っているのがフローレンス・デガ。僕は以前から彼女の仕事が大好きでしたから、驚いたし、個人的にもうれしかった」
「ニューヨークのステイプル・デザインが選んできたアーティストは、もう全部に気合が入っていて、発見の連続でした。こんなアーティストがいるのかって、ニューヨークの得体の知れないエネルギーを感じましたね。ロンドンのハーディー・ブレックマンのセレクションで驚いたのは、今若い人にカリスマ的な人気のあるクリエイション集団『トマト』のアーティストが入っていたことですね」
「送ってもらったグラフィックをコンピュータで処理して、やりとりしてOKが出ていても、サンプルを送ってからがまた大変です。彼らが求めるハードルの高さは半端なものじゃないので、こっちも必死です。彼らもとっておきのアーティストを出してきているわけですからね。『思っていたのと全然違う。こんなんじゃない』とか『私はもう本当に悲しい』って、メールの言葉もエモーショナルになってくる。工場に相談してプリントの方法を再検討したり、こちらがやれることは全部やるという態勢でした。最高のものを作る作業というのはもの凄く大変ですけど、自分も興奮してくるし、スリリングだし、ちょっと得がたい貴重な経験でした。世界レベルのクリエーターと創造の現場をともにできたのは、自分としても本当に光栄でした」
「Tシャツの価格は、だいたい一枚千円が中心なんです。この価格のなかで、あれだけのプリントのテクニックを使ってるっていうのは、ちょっとないと思います。昔、販売員やっていた自分としては、『もう原価割れだよ!』って言いたいぐらいです(笑)」
三島由紀夫が所有している絵に賛否両論があった
松沼氏と同じデザイン研究室の久保下氏には去年も話をうかがっている。
「僕らはデザインだけやっているんじゃなくて、企画の段階から一緒にやっています。こういうTシャツをやりたいなっていうイメージは結構ありますから。だから思いつけば企画会議で提案するんですけど、わりに一蹴されることが多い(笑)。単なる思いつき、趣味の世界だけだと、通りません。だからと言ってあきらめて何も言わなくなると、置物になっちゃうし……。もう全部は思い出せないぐらい、いろいろ案は出しましたね」
「今ならもっとうまく出来たな、という去年の反省はもちろんあります。それから時代感というのはやっぱり一年でも変わりますからね。Tシャツはそういう感度が大切だと思うんです。だから、毎年新たな思いでデザインすることになる。なかなか一丁上がりっていうふうには仕事はいきません。今回は凄いクリエーターやアーティストがさらに増えて、デザインする手ごたえもあり過ぎるぐらいありましたしね」
「今回のデザインで印象に残ったのは、クリエイティブアワードの審査員をやってくださった横尾忠則さんのTシャツです。横尾さんの六〇年代の作品です。三島由紀夫さんが所有している絵で、原画は今も三島家の所蔵なんですけど、横尾さんがTシャツにどうかって提案してくださった。僕は最初から凄くインパクトがあって、やり方しだいでは可愛いものになるはずって直感があったんです。でも社内には絵としては素晴らしいけど、Tシャツにはちょっと難しいんじゃないかっていう声が正直言ってあった。でも僕にはどういうテクニックでやればTシャツとして良くなるかというイメージも最初からありました。樹脂系のインクだとテカテカになって絵柄がうるさく載っている感じになる。柔らかい風合いの顔料を使えば、色合いも手触りもよくなるはずだと。実際サンプルが出来たときに思ったとおりになっていたんで、難しいよって言っていた人に真っ先に見せに行きました。そうしたら、『おっ、いいじゃんコレ』って、気に入ってくれた(笑)」
「僕らは一点一点、生地や顔料、染め方までこだわりにこだわって作ってきました。今年のTシャツには自信があります。ぜひ手に取っていただきたいと思っています。でも買ってくださるお客さんは『お、これは素材とプリントの手法が実にマッチしているなあ』って選んでくださるわけじゃありませんよね(笑)。やっぱり最終的に、パッと見た印象、手にした風合いの感覚が大事なんだと思います。だから凝りすぎてわけがわからなくなることだけは気をつけないといけないって、今は思っています」
「マハリシ」のハーディー・ブレックマンさんにEメールで質問
Q1 ロンドンではセレクトショップ・ムーブメントはいつ始まったのでしょう?
A ロンドンではセレクトショップは以前から侮れない存在でした。でもそれは衣料が中心。カモフラージュをテーマにしたものを集めたり、デザイナーが作った玩具やアート、デザインの本を扱うようなタイプの店は、去年われわれがスタートさせるまでは、目立つ存在ではなかった。
Q2 どうやって品物を選んでいるのですか?
A 限定生産のもの、特別なもの、を探しています。その時期その時期で、テーマを決めて集めることもやっています。70年代のレゲエ・ミュージックをテーマにしたり。
Q3 ファッションとしてのTシャツを堂考えますか?
A 気軽に着ることができる、人種や性別を問わない、基本中の基本といえる衣服。芸術表現の発表媒体としても、思う存分活用できるもの。大切なのは、ビジュアルとしても格好よくて、良いメッセージ性があることだと思います。
Q4 ユニクロとのコラボレーションについてどう感じていますか?
A イギリスのアンダーグラウンドのアーティストを紹介できる最大のチャンスだと思います。世界的なレベルで展開できるのが凄い。
Q5 ユニクロについて、何かエピソードがあったら教えてください。
A 僕らもバスキアやアンディ・ウォーホルの仕事をしたことがあるんです。ユニクロは同じビジョンを持つ会社なんだなと知って、ぜひ一緒にやりたいと思いました。
「ステイプル・デザイン」のジェフさんにEメールで質問
Q1 ニューヨークではセレクトショップ・ムーブメントはいつ始まったのでしょう?
A たぶん1996年あたりから。ニューヨークではイーストビレッジあたりから始まったんだと思います。独立系のデザイナーが作った、限定的でクールなものを小さな店が扱っていましたね。
Q2 セレクトショップが消費者の人気を得ているのは何故だと思いますか?
A やっぱり変化が欲しいんだと思う。どこでも同じ物が買える時代だけど、もっと特別なものが欲しい。店のスタッフと直接話ができて、品物の由来とか、どこがいいのかなんてことを知る親密さは、セレクトショップならでは。
Q3 どうやって品物を選んでいるのですか?
A 決まりはないです。内なる感覚に従うこと。よく意識するのは「にっこりできるものかどうか」。にっこりできるものはだいたいいいものです。
Q4 ファッションとしてのTシャツをどう考えますか?
A 今の時代に、コミュニケーションの手段として最も大切なものだと思う。どんなTシャツを着ているかによって、あなたがどういう人間なのかという世界観のようなものを示すことができる。
Q5 ユニクロとのコラボレーションについてどう感じていますか?
A 1998年から日本にはよく出かけています。だからユニクロについてはよく知っていました。品質、デザイン、センス、それから手ごろな価格。環境問題の取り組みもやっているし、企業として尊敬できる。
Q6 ユニクロについて、何かエピソードがあったら教えてください。
A 柳井さんに会うことができたのが忘れられないですね。最初にお会いしたときはチラシの広告デザインをやるためだったんです。そうしたら、「あなたたちの才能を発揮するのはこの仕事ではない。もっと違う仕事をしていただけるように考えます」っておっしゃった。数ヵ月後にこの仕事が具体化したことが、本当に光栄だし、柳井さんを初めとするユニクロの人々が、我々と仕事をしたことを誇りに思ってくれるようになりたいです。
「考える人」2005年春号
(文/取材:新潮社編集部、撮影:田村邦男、広瀬達郎)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。