プレスリリース

2006年12月25日

ユニクロ上海旗艦店オープン ~「考える人」2007年冬号~

~「考える人」2007年号(新潮社)より転載~

中国は難しい 中国は面白い

ユニクロ上海旗艦店オープン

ユニクロ・ホンコン・リミテッド総経理

潘寧(Han Chou)

20061228_1.jpg 中国はすごく難しい国です。省が変わるだけで言葉や習慣、思考のスタイルまで変わります。都市部と田舎で違うのはもちろんなんですが、沿岸地域に連なっている都市部に限定しても、北の北京、中央の上海、南の香港では、国が違うといっていいぐらいの差があります。
 中国でユニクロがスタートしたのは、二〇〇二年の上海からでした。二〇〇五年には北京、香港が続いてオープンしました。やっぱり三ヶ所それぞれで、まったくと言っていいほど反応に違いがあります。中国人の私でも、予想を超えた部分がある。そこが難しいし、面白いところでもあるんですけれど……。

 北京は文化や歴史を重んじるけれど、ファッションにはうとい。着る服の色も黒かグレー、茶色など、ベーシック・カラーを選ぶ傾向があります。白はあまり人気がない。何故かと言えば「汚れやすいから」(笑)。お金はあるんだけど、ファッションにどうやって使えばいいのかわからない人が多いんです。

 どうしてそういうことがわかるかというと、私が北京で育った中国人だから(笑)。

 北京のニューリッチは、シャネル、ルイ・ヴィトンのような高級ブランドが大好きなんですね。中国はメンツを重んじる国。人に何かプレゼントするときには高いものをあげないといけない。日本人は敢えて高価なものは避けて、心をこめてささやかなものを贈る場合があるでしょう? 中国ではそれは通用しません。「こんな安物を買ってきて、どういうつもりなんだ?」と一蹴されてしまう。

 上海は国際商業都市として百六十年以上の歴史があります。だから外国の文化には敏感。取り入れるのも早い。ファッションへの関心も高い地域ですね。

 香港は長らくイギリスの統治下にあったことだけでもかなり異質な風土です。日本に対する素直な憧れの気持ちが強い地域でもありますね。人の気質も中国のなかでは日本人に共通するものがある。

行列にもイライラしない

 圧倒的な成功をおさめたのは、香港です。香港の人はゴチャゴチャと小さな狭い店舗の並ぶ、建て込んだ雰囲気のなかで買い物をするのが好きなんですね。だから、最初は小さめの店舗でスタートするのがいいんじゃないかと私は思っていたのです。ところが柳井会長は「それは違う。差別化を図るためにも大型店にして、ユニクロのフルラインで勝負するべきだ」というようなことを言われた。

 私は正直言って、大型店を出して本当に商売が成立するのかどうか不安に思い、かなり悩みました。香港は家賃がべらぼうに高いですから、売り上げの四分の一、下手をすると三分の一ぐらいが家賃の支払いに持って行かれるかもしれない。日本の店舗の場合だと家賃は売り上げの十分の一以下ですから、すでに大変なハンデがあるわけです。

 ただ、どうやって売るかについては、上海店で三年経過したことで得られた感触と、香港人の気質や嗜好から、自分なりのやり方を考えていたんです。

 香港店に選ばれた場所はペニンシュラホテルから歩いて十分ぐらいの彌敦(ネイザン)通り沿いでした。高級ブランドが集まるエリアではありませんが、決して悪いところではない。ただ家賃のことがあったので、路面の一階ではなくビルの三階に決まりました。香港でショッピングという賑やかなイメージがある人には、このあたりの人通りはちょっと寂しく感じるかもしれません。私がこのエリアを自分で撮影して、役員会でビデオを見せたとき、うーん、ここですか……人が少ないねえ、という声が上がったぐらいですから。

 ただ、香港人の日本に対する良いイメージが追い風になると信じていました。日本は美しい国、しかも経済大国で豊か、日本製のものはみな素晴らしい。そういうイメージが今も香港では根強いですし浸透もしています。日本への関心がそもそも高いのでユニクロの認知度もかなりある。日本のユニクロで、抱えきれないほど買い物をして帰るのは香港、台湾のお客様だということも、実際に見聞きして知っていました。

 そこで私が考えたのは、香港の出店では「日本のユニクロである」ということを全面的に強調する戦略でした。具体的にどうしたかというと、商品に付いているプライスタグや商品名を円と日本語の表記のままにしたんです。もちろん中国語の商品名と香港ドルでの値段の表示はポップを作ってわかりやすいように掲示して、現地価格がお客さんにちゃんとわかるようにはしました。しかし、内部からは「日本語で表示しても誰にもわからないんじゃないですか」と結構反対されました。でも私には迷いはなかった。

 開店の初日、蓋を開けたら大変な騒ぎでした。ちょっとこちらのからだの具合が悪くなるぐらい(笑)、びっくりするほどお客さんが集まったんです。一階から三階までびっしり並んで、それだけでは間に合わずに行列がはみ出して、ビルの外にまで並ぶ状態が朝から晩まで。それが二週間にわたって続きました。香港人の男女、年齢を問わず、あらゆる人たちが来たんですね。

 でもトラブルにはならなかった。そもそも香港人は、あせらずゆっくり買い物をする人たちなんです。Tシャツ一枚買うのに一時間ぐらい並ぶのは平気だし、お店に入ってからもあれこれ品定めをしてすぐには買わない。買うものが決まってレジの列に並んでも、今度はなかなか前へ進まない。それでもヘッドフォンで音楽を聴いたり、本を読みながら並んでいるので決して怒らないんです。イライラしない。超満員のユニクロに来て並んで買い物をする、というイベントに参加している感じ(笑)。ディズニーランドで乗り物の順番待ちをしているのと似てますね。混み合っているお店のなかでわざわざ待ち合わせする人もいたぐらいですから。とにかく凄いとしか言いようのない混み具合でした。パンツ丈のお直しを待つ商品の山は天井に届きそうでしたし、ヘルプユアセルフ方式で散らかってしまった商品を翌日のオープンまでにきれいに畳んで並べ直すだけでも大変でした。

立ちはだかる壁

 香港の成功は、上海の一号店から三年の蓄積が大きかったと思います。二〇〇二年のオープン直前まで、中国はまだWTOに加盟していなかったので、繊維製品の関税が恐ろしく高かった。イタリアのメリノの糸とか、日本製のデニムとか、ヨーロッパ・リネンとか、ユニクロで使っているハイグレードの原料には重い税金がかかってしまって使えないんです。ですから素材は百パーセント中国産にしなければ商売は成り立たなかった。ゼロから生地屋さんを探したり、工場で何度もサンプルを作り直してもらったり、限られた条件のなかでできるだけ日本の商品に近い高いグレードのものを低価格で作ろうと奔走しました。

 なにしろ上海では普段着用のパンツは二本で二〇元(=約三〇〇円)で売られているものもありますからね。日本のユニクロの価格だと一本が一九〇〇円から二九〇〇円(当時)。それを一五〇〇円ぐらいの値段で売れなければ勝負にならない。しかしそれではお客さんがたくさん来てくれても、なかなか利益が上げられない。そういう苦しい局面もありました。

 しかし三年経つあいだに中国もWTOに加盟して、関税率も年々引き下げられた。経済の急成長につれて購買意欲もどんどん高まっていった。状況はだいぶ変ってきたんです。

 ユニクロもグローバルなブランドとしてニューヨークに旗艦店を出すことになり、世界中どこでも、同じ商品が同じクオリティで買える必要がある。競合する海外ブランドも次々に上海へ進出しています。その変化を睨みながら、上海での展開を新しく考え直さなければならない時期が来ていたわけです。香港での成功も、新しい上海店の方向性を決める大きなヒントになった。

 香港に較べると、上海でのユニクロの認知度はまだまだ低いんですね。先ほど申し上げたように、これまでは上海のローカルブランドとの価格の競合を意識しすぎていた。その反省と香港での大成功を大きな原動力にしているのが、今年スタートさせた上海での新戦略です。

 七月に上海に新しくオープンした店ではブランド・イメージのバージョンアップを狙っています。ロケーションは上海の人気商業エリアで、一流店が多く入店するモールを選びました。三百坪の売場面積を持つ大規模店。これまでの上海の既存店に較べると約三倍の広さ。七月、八月はバーゲンの時期です。通常、新店オープンの時期は秋冬にするのが都合が良い。しかしお店にも商品にも自信があったので、一刻も早く開店したかった(笑)。期待通り、お客様は多く来店され、新店の売上はこれまでの三倍に増えました。以前はあまり多くなかったニューリッチの客層も目につくようになった。彼らもユニクロの高品質とファッション性のマッチングに気がつき始めたんですね。

ルーツを捨てたら駄目

 いま上海では、海外ブランドが大型店を続々と上陸させようとしています。われわれもさらに、七月にオープンした店の二倍以上も広い、新しい七百坪の店を上海でスタートさせます。この十二月です。

 中国の人口十三億人のうち、いわゆる中産階級が占める割合はどれぐらいあるかというと、現状ではその一割にも満たない。ただ、この割合は今後もっと増えていくでしょう。自分の故郷の北京の店はなかなか利益を出しにくい状況にあったのでいったん閉めることにして、今は仕切り直しの作戦を練っているところです。しかし近い将来、北京も大きなマーケットになっていくのは間違いない。

 反日感情についても聞かれることが多いのですが、この背景には政治的な思惑も絡んでいて、事情は複雑です。しかし一般市民の生活レベルで見れば日本のイメージはとても良い。トヨタは今年、販売台数が前年比で八〇パーセントぐらいの伸び率ですし、家電といえば、ソニー、東芝、ナショナル、と日系企業ばかりが人気です。「日本」は実によく浸透している。ですから私たちも「日本のブランド、ユニクロ」を前面に出して、その価値を中国人にもっと知ってもらい、広めていきたい。

 ユニクロは海外でも日本というルーツを絶対に大事にすべきなんです。そう思います。ルーツを捨てたら駄目。私も日本に二十年近く住んでいますけど、国籍は中国のまま。自分が中国人であることを決して忘れてはいけない、いつもそう思っているんですよ。

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uniqlo_logo.gif上海にユニクロ1号店がオープンしたのは2002年。05年には香港のミラマーショッピングセンターに売場面積約350坪の初の店舗がスタート。おかげさまで中国におけるユニクロの認知度は日々上昇しています。香港店での成功を受けて、06年12月には上海浦東に売場面積700坪の旗艦店がオープン。英国ロンドン・リージェントストリート店、米国ニューヨーク・ソーホーのグローバル旗艦店とあわせ、ユニクロは世界中の日々の生活を豊かにする「本当に良い服」を企画、生産、販売する拠点を整え、次の大きなステップを目指しています。

「考える人」2007年冬号

(文/取材:新潮社編集部、撮影:広瀬達郎)

詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。