2007年04月04日
ユニクロ大型店舗の舞台裏 ~「考える人」2007年春号~
~「考える人」2007年春号(新潮社)より転載~
人がたくさん集まる場所を作る仕事
ファーストリテイリング次世代SPA開発部部長
松山 真哉 (Matsuyama Shinya)
卒業した一橋大学の社会学部では、外国人労働者問題が研究のテーマでした。ヨーロッパにおけるトルコ人労働者問題に焦点を絞り、約一ヶ月をかけてドイツ、オランダ、フランス、トルコを旅しました。教授に率いられたゼミのメンバーと一緒だったんですが、ドイツやフランスでもトルコ人街とその周辺ばかりをまわる旅です(笑)。
外国人労働者の問題は宗教や文化を抜きにしては語れません。キリスト教との衝突もあり、イスラム教は帰属意識が強くお互いを守り合おうとするので、自然と地域コミュニティーが形成されます。そんな姿を見ているうちに、人間社会というものには人々が集うことのできる居場所のようなスペースが必要なんだ、と考えるようになったんですね。しかし日本はまだまだ公共スペースが貧しい。
就職したのは大手の不動産会社でした。ちょうどその頃、ある都市開発を請け負っていた老舗の不動産会社です。巨大な国有地が売りに出され、取得した各企業が本社ビルを建設する再開発事業だったのですが、それぞれバラバラにビルを建ててしまうのではなく、お互いが有機的に機能し合うかたちで開発を進める。そのためのコンサルティングを不動産会社が請け負ったケースでした。限定された地域とはいえ民間の会社が街づくりにかかわることができる。面白い仕事だなと思ったんです。
最初に配属されたのは、会計や税務、契約書の法務上のチェックなどを担当する管理部門でした。一日中机の上のコンピュータでエクセルをいじっているような仕事です。今思えば会計のあらましを二年間で習得できたのが後々役に立ちましたから感謝しなければいけないんですが、どうにも地味な仕事で希望していた街づくりのイメージとはほど遠い(笑)。
少数精鋭で能力の高い人も多いですし、家族的で給料もいい。大きな安定した会社でしたし、離職率も低い。希望していた会社でしたから、寝食忘れて仕事に没頭したい気持ちもあったんですが、どうみても効率の悪い仕事が放置されていたり、バブル時代の負の遺産がドカッと残っている一方で、経費の無駄遣いがまかり通っていたりする。なんだか理不尽な感じがしたんです。
上下関係もけっこうはっきりとありました。「酒を注ぐのが遅い」なんて先輩に怒られたり(笑)。自分にはよく見通せない、わかりにくい複雑なものが会社のなかに漂っている。会社と社会の関係もよく見えてこない。何のために、誰のために存在している会社なのか。
入って二年が経った二〇〇一年の春に、やはり大企業に就職したものの、なんか違うと思い始めていた大学の友人に声をかけられて、ファーストリテイリングの就職セミナーに出かけることになったんです。それまではユニクロの店に行ったこともなかったんですけど(笑)。
新しく店がオープンするまでの店長が奮闘する様子が会場にビデオ映像で流れたり、柳井会長の話を聞いているうちに、この会社はシンプルで風通しがいい、しかも熱い、というのが伝わってきたんですね。会社が何のために存在しているのかもはっきりしている。買い物に来てくれるお客様がすべての基準。あらゆることはそこに立ち返って判断すればいい。その揺るぎない基準があれば、上司はもちろん、社長にだって自由に物が言える。会社の空気がぜんぜん違うんですね。驚きでした。
いまアメリカのユニクロの代表になっている堂前宣夫さんは、当時まだ三十歳ぐらいで、すでに役員になっていたんですが、ビデオインタビューで「なぜファーストリテイリングに入社したんですか?」と質問されて、「ここは一生懸命働いてもいいんだなと思える会社だったから」と答えたんですね。この言葉が僕の心の琴線に触れた。それまで働いていた会社は、一生懸命働きたいと思っていてもお客様や業績以外の判断基準が沢山積み重なっているため、僕は混乱してしまい、何をしていいのか分からなくなってしまっていた。一番悩んでいた部分に直接答えてくれる言葉だったんです。堂前さんの気負いのない、当たり前の言い方も胸に響いた。この言葉を聞いて、ぼくは転職を決めたんです。
眠れない日々
ファーストリテイリングに入社して、最初に配属されたのはIR(インベスター・リレーションズ)部です。投資家に会社の現状を公開し説明する部署でした。最初に担当したのは、スタンダード&プアーズの格付けをとる仕事。会社のビジネスモデルや戦略、競合の状況を説明し、財務諸表も提出して、アナリストにAAとかA A-のような格付けをしてもらう材料を整える仕事です。外部からきちんと評価してもらい、自分たちの会社の健康診断もしておこうという目的でした。それ以外にも半期に一度の決算発表がありましたし、広報の仕事も兼任していましたので、つねに対外的なコミュニケーションにかかわっていたわけです。いきなりすべてを任されたので、必死でしたけどやりがいがありましたし、楽しかったですね。
ところが、僕が入社した二〇〇一年五月が過去最高の決算で、そこをピークにして、直後から業績が悪くなっていった(笑)。それからは、業績の下方修正の記者発表とか、マスコミの厳しい取材への対応に追われる日々でした。
広報の担当する仕事のひとつとして、柳井会長の取材や講演に同行してましたから、会長がビジネスにどのような姿勢で取り組んでいるのか、その考え方や覚悟を肌で感じることができました。会長は本当に素直で表裏のない人ですから、近くで仕事ができれば、必ず何かを吸収できる、なかなか巡り会えない最高のチャンスだと思ってやっていました。
二年ほど業績不振が続いた後、今度は底を打ったようになって業績がプラスに転じた。業績が悪いと広報が何を伝えようとしても裏目に出てしまうけど、業績が良くなれば、おのずと良い記事も出るようになる。入社して短期間のうちに、会社の仕組みとか、社会との関係をいろんなポイントから見ることができたのは広報担当時代の財産だと思っています。
その最後の頃に、アテネオリンピックの公式服装をつくる仕事の取りまとめ役も兼務することになって、休日もないほど働き詰めになってしまった。なんだか眠れなくなっておかしいと思って医者に診てもらったら「いますぐ仕事を休みなさい」と。このときは正直言って会社を辞めようかとも思ったんですよ。ところが医者は「こういうときは、あまり大きな決断はしてはいけない。判断力が弱くなっているんだから、転職とか引っ越しとか結婚のような大事なことは決めないように」って念を押されまして(笑)。結局、二ヶ月半休みをもらって、復帰しました。そうしたら、当時の社長の玉塚さんから「おまえ、もう病気大丈夫だろう?」って軽く声をかけられて、次の部署に異動することになったんです。二〇〇四年の一月のことです。
全社改革に匹敵すること
配属されたのは、ちょっと長い名前なんですが、「商品マーケティング構築プロジェクト」という新しい部署です。ファーストリテイリングという会社が今後解決していかなければいけない問題点はどこにあり、具体的に何をすればいいのかを洗い出して実行に移す仕事でした。
そこで大きい問題として浮上したのは、お客様が一番大事だといいながら、消費者の意見を直接に聞くという活動をどれ程真剣にやっているのかということでした。つまり商品開発が消費者の望んでいるものなのか曖昧なまま行われていた。それでは駄目だろうと、まずは率直に意見を聞いてみよう、ということになったのです。
我々が同席しないところで複数の消費者に集まってもらいフリートークをしてもらうと、ユニクロは部屋着か自転車で出かける範囲で着るならよいけれど、電車に乗って出かける時は着ない、というちょっと衝撃的な(笑)意見も飛び出した。ユニクロの商品力そのものをさらに上げるのは当然としても、イメージの面で実力以下に過小評価されていることも同時に見えてきたわけです。
商品力とイメージを上げるにはどうするか、という問題から発想したのが、ユニクロの商品を最高の品質と品揃えで、しかもこれまでとは違う新しいインテリアの大型店で展開すべきだ、ということでした。商品をどのように視覚的な演出で見せるかということを私たちの世界ではビジュアル・マーチャンダイジング、VMDと呼んでいるのですが、その最初の試みを心斎橋店の大型店で実行することにしたのです。それまでは二〇〇坪ぐらいが標準だったのが、ここでは約三倍の六五〇坪。商品も、売り場作りも、営業のオペレーションもすべて新しくする。その動きをとりまとめるマネジメントの仕事を担当することになりました。
さらに二〇〇五年の銀座店のプロジェクトと同時に、私のいた部署は「次世代SPA開発部」となって、ユニクロの大型店化の仕組み作りを担当することになったのです。昨年の秋にはニューヨークに一〇〇〇坪の旗艦店がオープンしましたし、銀座店も含めて大型店は大変好調で、ユニクロの大型店化は、これからは力業ではなく普通の仕事へシフトしていく段階にさしかかっています。国内で今後三年間に一〇〇店舗の出店を計画しています。
しかし店の広さを二倍にすれば、売り上げも二倍になる、という計算ではありません。人件費も家賃も増えるわけですし、店のオペレーションを全面的に変えなければ成立しない。つまりこれは、経理も財務も人事も含め、経営全体にかかわる全社改革に匹敵するプロジェクトなんですね。
大型化はグローバル化とも並行しています。香港や中国のユニクロも大型店化を進めて業績を上げている。そもそもユニクロと競合する海外のブランドは、だいたい五〇〇坪以上の大型店がスタンダードなんです。ユニクロがグローバルなブランドとしてさらに成長するには大型店化は必須の条件でもあるわけです。
ニューヨークの旗艦店は業績がいいのはもちろんなのですが、周辺の競合する他店に較べて驚くほどおしゃれな人がたくさん集まっている。客層が全然違う。これはさきほど申し上げたVMDがうまく功を奏して、ユニクロの商品の実力を正当に評価してもらうことができた結果でもあると思っています。
今の最大の課題は、ニューヨークの一〇〇〇坪の店と、日本の一〇〇〇坪の店を、同期化させる、ということですね。ニューヨークの成功を特例だとはとらえずに、それをスタンダードな、世界のどこへ行っても通用するオペレーションにする、ということ。この春には神戸と世田谷に一〇〇〇坪級の大型店が二軒、オープンします。この新しい店に来ていただければ、ユニクロがこれから世界で取り組んでゆく店がどういうものであるかを体験していただけるはずです。
こうして振り返ってみると、人が集まってくる場所をいかに魅力的につくるかというテーマにいま自分がたどりついているんですね(笑)。偶然かもしれないし、必然のような気もしています。
これまでの標準店舗の2~3倍の売場面積を有する500坪級の店舗をユニクロでは大型店と称しています。大型店はユニクロの成長エンジンと位置づけられており、500坪級の売場を基準とした商品の開発、商品構成を行うことで、より魅力あるユニクロが実現します。2007年3月末現在、全国に20店舗を展開中です。2007年の春夏シーズンには、10店舗の出店が計画されており、今後3年間で累計100店の出店を目指し、大型店戦略を積極的に展開していく予定です。ご期待ください。
「考える人」2007年春号
(文/取材:新潮社編集部、撮影:坪田充晃)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。