2007年07月04日
ユニクロ「全商品リサイクル」の舞台裏 ~「考える人」2007年夏号~
~「考える人」2007年夏号(新潮社)より転載~
衣服が人に与える喜びと企業の社会的責任
タイ、ネパールの難民キャンプ支援
ユニクロの商品リサイクルは六年前から始まっている。まずは販売点数の多いフリースが対象に選ばれた。過去に販売された大量の商品が、時間の経過とともに着古され、ゴミとなれば、それはすなわち環境への負担が増すことを意味する。社会的な責任のある企業として商品の終着点に目をつぶるわけにはいかない。リサイクルへの取り組みは、この認識からスタートした。
しかし、リサイクルする手段や方法の可能性はひとつだけではない。考えうる現実的な可能性について、専門家や他の企業と相談をし、無理なく継続的に進められる方法は何かを探り続けてきた。たとえば、フリースを再加工して工業用の素材として再利用したり、あるいは燃料化し電気エネルギーへと変換する方法も試みられた。いずれの場合でも「まずはできることから始めてみる」──これがユニクロがリサイクルに取り組む際の基本的な姿勢だった。
昨年九月からは、リサイクルの対象をフリースから大きく広げた「全商品リサイクル活動」がスタートし、これまでとは違う再利用も始まった。それは消費者が着古したものを洗濯した上で持参した商品が、引き続き使うことのできる状態のものがほとんどだったことにもよるのだが、このことについては、後に述べることにしよう(ちなみに、不要となったユニクロの商品を店頭で回収する「全商品リサイクル」は、現在三月と九月の二ヶ月間に集中して行なわれている)。
衣料品と社会の関係を問い直す
「全商品リサイクル」は、ユニクロのCSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)チームが担当している。CSRとは、近年重視されるようになった、社会と企業の関係を問う言葉のひとつ。次の世代に手渡すことのできる持続可能な社会を実現するためには、企業が社会や環境に与える様々な負荷や影響について責任を持ち、その解決のための活動を行わねばならない--CSRとは、たとえばそのような考え方を指している。CSRチームを率いる執行役員、新田幸弘氏の話。
「これまでユニクロでは、社会貢献室や社会・環境活動室という部署が大規模災害に遭った地域への緊急支援や、知的障害者のスペシャルオリンピックスのサポート、瀬戸内オリーブ基金への募金活動などを続けてきました。しかし、現在のユニクロの企業活動は多様化し、世界規模に広がりつつあります。それにともなってCSRの問題として取り組まなければならない課題も増えました。社会貢献という言葉には収まらないものも多いのです。
たとえば、中国で契約している工場で最低就労年齢に満たない労働者を雇っていないか、あるいはトイレや水分補給のための休憩が許可制になっていないか--もし許可制だとするとこれは強制労働になってしまいます--そのような法令遵守の問題をチェックして、改善するのもCSRの仕事です。
もちろん海外の問題ばかりではありません。たとえば、国内のユニクロ社員に、適正とは言えない長時間労働が発生していないか、産休や育休がスムーズに取得でき、復帰も問題なくできているかどうか、障害者雇用に新たな課題はないか、これらを考えるのもCSRの範疇です。
本業で得た利益の一部を社会に還元するために、社会貢献やボランティアに取り組みさえすれば社会的責任を果たすことができた、とはもはや言えない時代なんですね。本業とは別に考えるのではなく、本業そのものへの取り組みのなかで実行してゆかなければならない。日常的な企業の姿勢が問われているのです」
CSRの考え方は、企業の本質にまで及ぶ。したがってCSRの一環として継続して取り組まれることになった社会貢献の意義も、ここで深く問い直されることになる。本業から生み出される衣料品と社会の関係とは何か。フリースに限定しない「全商品リサイクル」の発想も、ここから生まれてきたのだ。
物資による支援は歓迎されない
「全商品リサイクル」で回収された商品は約一四万点。そのうちの九割以上の商品が、再利用が可能な良好な状態だった。これをわざわざ別のかたちに変えてリサイクルするのではなく、衣料として引き続き活用してもらう方法はないか。世界には食料や水はもちろん、衣料が不足している地域がある。その地域の人々に手渡すことで、心地よく衣服を着る喜びを知ってもらうことができる。ユニクロが企業として大切に考えていることを、このようなかたちでも伝えられるのではないか。最初の発想はそこから始まった。
しかし現実は必ずしもシンプルではない。調べてみると、海外支援を行っている団体は物資による支援をほとんど受け入れていないのが実情だった。物資は保管、輸送、配送のコストがかかる。受け入れ国の許可申請や、仕分けして適正に分配するための労力も必要。手渡す際には、目に見える物品であるがゆえの不公平感が、どうしても漂ってしまう場合がある。現金であれば、それらのコストやリスクを負うことは少ない。ふたたび新田氏の話。
「品物でも薬なら歓迎されます。食料や水に並んで優先されるものですから。しかし、よほどの寒冷地は別として、衣料品は『我慢できるもの』の扱いになってしまうんですね。衣料品はクオリティ・オブ・ライフにもかかわってくる重要な要素だと考える私たちにとって、その壁は予想以上に大きなものでした」
社会貢献室の時代から、緊急支援などの経験を重ねてきたCSRチームの小柴英子氏は、様々な団体に連絡をとり、受け入れ先を探し続けた。しかし次から次へと断られてしまう。理由はどこも同じだった。彼らには経験に基づくリアルで正当な理由がある。このままでは計画が頓挫してしまうのではないか、と思われた時期もあった。
そしてやっとたどり着いたのが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)だった。近年の難民キャンプでは衣料品の配給が不足しており、その対応を考えなければいけない時期にさしかかっていたというUNHCRの現状認識と、ユニクロからの申し入れが無理なく一致することになったのだ。それとほぼ同時に、再利用される商品を一時的に倉庫で保管しなければならない問題や、現地への輸送をどうするかについても、NPO法人日本救援衣料センターの全面的な協力を得られることになり、道がひらけた。事態は一気に動き始める。小柴氏の話。
「もちろん、リサイクル用の商品をUNHCRにそのまま手渡せば私たちの仕事はおしまい、ではないんですね。男性もの女性もの、大人用と子ども用、春夏秋冬のシーズン別に、集められた商品全点を仕分ける作業が必要でした。温暖なタイの難民キャンプに、フリースを届けるわけにはいきませんし、地域と商品の相性は気候ばかりでもない。宗教や文化の問題もあります。実際にタイではスカートは歓迎されないと聞いていたので、商品を届ける前の事前調査の際に難民の女性に直接お尋ねしました。ところが、タイではいまスカートが凄い人気だからうれしいと言われて、よかった大丈夫なんだ、と安心して準備に入ることができました」
商品の仕分けと輸送にかかる費用は、ユニクロが負担した。そして、どの地域の難民キャンプに衣料品を届けるかの選択については、UNHCRの判断に委ねられることになった。
森絵都さんと難民キャンプへ
衣料品の届け先として選ばれた場所は、タイとネパールだった。
タイの隣国ミャンマーでは、第二次世界大戦が終結した直後から少数民族と軍部の衝突が繰り返されるようになった。八〇年代以降はミャンマーからの難民がタイへと流入し始め、現在では、国境沿いの九ヶ所の難民キャンプに約一四万人の人々が暮らしている。
タイと同じような多民族国家であるブータンは、宗教や文化の保護や統一を強化する国家政策によって、ネパール系ブータン人を事実上ブータンから追放することになった。ネパール南東部の七つのキャンプには一二万人を超えるブータンからの難民がいる。避難生活は長期にわたり、第三国への定住の問題も未解決のままである。
全商品リサイクルの回収から約五ヶ月後。様々な手続きを経て、UNHCRとユニクロの共同の出張の準備が整った。タイとネパールに衣料を届ける旅には、双方のメンバーの他に、ひとりの小説家も含まれていた。国連職員を主人公に、難民問題をテーマとした小説『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞を受賞した森絵都さんである。UNHCRの誘いに応じた森さんが、その旅に同行することになったのだ。森絵都さんのタイとネパールへの旅の詳細は二〇〇七年五月号の「別冊文藝春秋」に掲載されている。難民キャンプをめぐるビビッドで率直な森さんのレポートには、ユニクロの新田氏と小柴氏も登場する。きれいごとでは済まない等身大の現実が、人々の息づかいとともに伝わってくる読み応えのあるレポートだ。難民キャンプについて私たちが抱きがちなイメージとは異なるような光景も描かれているし、想像以上に厳しい現実も浮かび上がってくる。ぜひお読みいただければと思う。
入り口から出口までの責任
ふたたび新田氏の話。
「社会貢献と言っても、私はビジネスだと思ってやるようにしています。入り口から出口まできちんと責任を持って遂行できなければいけない。継続することが大事だと思います。ただ、難民キャンプの状況もそれぞれの国によって変わってきます。われわれの手の及ばないケースもあるでしょう。何かリスクがあるなと思ったら、何が何でも支援するというのではなく、そのリスクを見極めた上でやめる判断をする場合もある。その意味では、ユニクロの日常的な仕事とまったく同じ意識で取り組むべきだと考えています。
『難民』と規定され受け入れられた以上、彼らはキャンプの外へ出ることができませんし、仕事をする自由もない。ですから衣料の提供も難民キャンプのなかで完結するわけなんですが、現実問題としてこれだけのボリュームの衣料品が万が一転売されたりしたら、地元の繊維産業に悪影響を与えかねません。その問題も意識しなければならない。継続して毎年難民キャンプをたずね、実際どのように着てくださっているか、彼らの表情はどうなのか、何か問題は起こっていないか、自分たちの目で確認する必要があるのです。
さらに、この仕事がCSRチームに特化したものではなく、ユニクロの全社員が自分たちのこととしてとらえられ、場合によっては参加できるものにもしたい。今回の旅について社内メールでレポートを配信したら、予想以上の反響がありました。『自分たちがつくったユニクロの服が、こういうかたちで世界に貢献できているんだと知って感動しました。日々数字に追われ、数字を追う仕事をしていたけれど、衣服が人に与える喜びとは何かをあらためて考える機会になりました』。このメールをもらったとき、現地での難民の人々が喜ぶ顔を見たときと同じぐらい、ああやってよかったな、とつくづく思いましたね」
2006年9月に1ヶ月限定で実施した全商品リサイクル活動では、全国のお客様のご協力により約14万点の商品が回収されました。衣料としてリユース可能な約92%の商品は、UNHCR(国連難民高等弁護官事務所)と認定NPO法人日本救援衣料センターの協力のもと、タイとネパールの難民キャンプへの寄贈をいたしました。難民の問題は、人間としての尊厳に関わる大きな問題です。いつでもどこでもだれでも着られるカジュアル衣料企業として、身近なところからできる支援を今後も継続して行っていきたいと考えております。
「考える人」2007年夏号
文、取材・新潮社編集部
撮影・上岡伸輔
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。