2008年10月07日
瀬戸内オリーブ基金の舞台裏~「考える人」2008年秋号~
~「考える人」2008年秋号(新潮社)より転載~
持続し、成長する瀬戸内オリーブ基金
ユニクロ・四国Ⅰエリア(愛媛地区)
スーパーバイザー
桑島 弘樹 (Kuwajima Hiroki)
瀬戸内海の小さな美しい島、豊島に、産業廃棄物の不法投棄が始まったのは一九七五年のことだった。やがて島民が立ち上がり、その依頼を受けた中坊公平氏が、一九九三年、香川県との公害調停に乗り出したとき、豊島の産業廃棄物は五十万トン以上にも達していた。堆積した産廃から浸み出した汚水は海に流れ出し、ダイオキシンなどの有害物質を含んだ鼻をつく異臭が、あたり一帯に漂う最悪の事態になっていた。
長きにわたる闘いの末、二〇〇〇年に公害調停が成立。廃棄物と汚染土壌を豊島から搬出し、隣の直島の処理施設で無害化することが決まったのである。しかし元通りになるまでには、おそらく十数年の時間がかかるであろうと予測された。
子どもの頃、瀬戸内海の美しい海で泳いでいた建築家の安藤忠雄氏と、豊島の産廃問題に長年かかわった中坊公平氏が呼びかけ人になり、豊島をかつてのような緑溢れる美しい島に戻そうとスタートしたのが「瀬戸内オリーブ基金」だった。寄付を集め、その資金で豊島をはじめとする瀬戸内海沿岸エリアにオリーブなどの植物を植えてゆこうという計画である。
その趣旨に賛同し、ユニクロは二〇〇一年四月から全国で店頭募金を開始。お客様から預かった募金に、その同額をさらに加えて、「瀬戸内オリーブ基金」に寄付するという活動に取り組むことになった。
それから七年が経ったいま、店頭での募金の総額は一億一千七百万円を超え、植樹された木の本数は六万本以上となった。活動そのものも、新たな展開を迎えている。
オリーブの管理の難しさ
「瀬戸内オリーブ基金」の成果を見るために、私が豊島をはじめて訪れたのは二〇〇三年の初夏だった(「考える人」二〇〇三年夏号掲載)。岡山県の宇野港からフェリーに乗って約四十分。船上から見渡す瀬戸内海は青く深く輝いて、そのような不法投棄が行われたことなど嘘のような、ゆったりとした表情をたたえていた。
豊島は人口が約千百人。フェリーをおりた港から約二キロ離れたところに産廃の不法投棄現場がある。その手前にある穏やかな入江に面して、「瀬戸内オリーブ基金」によって植えられたオリーブ畑が広がっていた。植樹が始まってわずか二年で、すでに立派に成長しているのが驚きだった。産廃の不法投棄の事実さえ知らなければ、目の前の広がりは、瀬戸内海のおだやかで美しい光景に過ぎない。しかし、それまでの経緯や成り立ちを思うと、よくぞここまでと感嘆の声をあげたくなるような眺めだった。
その一方で、このまぶしい光景の裏側では、オリーブの生育を維持管理するため、人知れず多くの時間と労力がかけられていることも知った。
当時は豊島の島民の有志が「森の番人」の名称でオリーブの管理を委任されていた。オリーブは手間のかかる樹木で、放っておけばオリーブゾウムシに食われ、枯れてしまう。夏には下草が伸び放題になり、そのままにしておくとジャングル化する。大きく枝を伸ばすので、しかるべき段階で間引いて、植え替えをする必要もある。「瀬戸内オリーブ基金」の構想は、刻々と変化する自然を相手にしなければならない。植えてしまえば完了する、というわけにはいかないのだ。さらに言えば、島の過疎と高齢化が進むなか、新たな産業の招致につながるわけでもなく、手間ばかりかかるオリーブ畑は、下手をすれば「ありがた迷惑」になりかねない。多数の人々の善意の集まりで実現したものであるからこそ、島の人々ばかりに負担を強いることなく活動を続けてゆくには、いったいどうすればよいのだろうと思った。
NPO法人の設立と活動の拡大へ
豊島の取材をしてから五年の歳月が流れるうちに、当時の基金の総額約三千八百万円は、現時点でその七倍の約二億七千万円に達している。さらに、「瀬戸内オリーブ基金」の運営と活動には驚くほどの変化が起こっていた。
二〇〇七年八月、「瀬戸内オリーブ基金」はNPO法人化されることになったのだ。それまでは、安藤忠雄氏の呼びかけのもと、ユニクロが協力し、いわば手弁当で運営していた組織だった。それを対外的にも開かれた、機動力のある組織に変えたのだ。これによって、新しい企業の参加の可能性が大きくなり、「瀬戸内オリーブ基金」をベースに展開される活動もよりパブリックなものへと幅を広げることになった。
基金は豊島での植樹活動への支援に限定せず、瀬戸内海沿岸の自然保護団体などに対する助成やそのボランティアへの支援も対象となり、月に一回開かれる運営委員会で申請のあった団体や個人について審査を行って、助成金の拠出を決定する、というシステムになっている。対象となるプロジェクトは、植樹はもちろんのこと、耕作放棄地対策、里山保全、竹林除去、希少植物対策、環境教育へと多様化した。「瀬戸内オリーブ基金」の名称から、オリーブのみの植樹が行われているとイメージされがちだが、これまで行われた約六万本の植樹のうち、オリーブが占める割合は約一割で、そのほかにサクラ、ヤマモモ、ウバメガシ、アジサイ、スイセンなど、その場所と目的に適したものが植えられるようになっている。「オリーブ」は活動を象徴するシンボルとしてとらえればよいようだ。
活動の対象エリアも、総合的な視野に立ち、瀬戸内海に縁の深いと考えられる地域全般へと拡大した。しかし「瀬戸内オリーブ基金」の出発点となった豊島は、いまも変わらず活動の中心であり、NPO法人化された事務局も豊島に置かれている。専従の事務局員も二人常駐するようになった。
植えてお終い、にならないために
ユニクロの従業員にも、意識の変化が起こりつつあった。会社がCSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)活動にさらに積極的に取り組み始めるのと軌を一にして、社内にも「ボランティアクラブ」が設立された。知的障害者のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス」(ユニクロは日本でのオフィシャル・パートナーを務めている)に、ボランティア・スタッフとして参加したり、豊島での「瀬戸内オリーブ基金」の活動のサポートにも直接かかわるようになったのだ。
ボランティアクラブは当初は会費制で、任意の従業員が集まる組織だった。しかし、裾野を広げ全社の取り組みにするため、昨年からは会費制をやめて全従業員が会員となった。もちろんボランティア活動への参加は義務ではない。しかし、たとえば豊島へのボランティア参加を社員が希望すれば、交通費の八割を会社が負担する。会員制だった頃には「特別に意識の高い」社員の集まりに過ぎなかったボランティア活動の、心理的なハードルはぐっと低くなり、参加者も増えた。
豊島では、オリーブを植樹すること以外にも、下草刈り、オリーブの実の収穫、農園の開墾、豊島にある三十三カ所のお遍路の道の草刈り、国立公園に指定されている北海岸(産廃の現場にも近い)の清掃など、「植えてしまえば終わり」ではない仕事が継続して行われるようになった。作業が終わった後にはバーベキューパーティを開き、島民との懇親を深め、地域の歴史や、豊島が直面するさまざまな問題にも耳を傾ける。現場での経験をもとに、今後の活動に向けての新しいアイディアが生まれたりもする。
参加者は社内のお知らせを通じて、毎年四月と十月に募っている。泊まりがけで活動するのが恒例となり、これまでに豊島へ出かけた人は、六百人を超えた。なかには、四月と十月の定例の日程にはこだわらず、下草刈りがもっとも必要となる夏に豊島にやってくるグループもある。そのひとりで、愛媛県のユニクロの店舗を統括するSV(スーパーバイザー)、桑島弘樹氏に話をうかがってみることにした。
自分の経験を伝えること
「ユニクロが『瀬戸内オリーブ基金』をサポートすることになったとき、私は豊島の産廃問題をまったく知りませんでした。当時、香川県のユニクロで働いていたのですが、その自分が同じ香川県で起こった問題を、何も知らないではすまないだろうと思ったんです。お客様に募金をお願いしようというのですからなおさらです。
まずは豊島事件の歴史を知ろうと思って、『中坊公平・私の事件簿』を読みました。豊島でそんなことがあったのかと本当に驚きました。事件の概要がわかると、やはり現場に行ってみようと思ったんです。ちょうど植樹のボランティアを募っているときだったので、応募して豊島に行きました。
衝撃でしたね。初めて豊島のボランティアに行くと、まずは産業廃棄物の投棄現場を見学することになっているんです。ありとあらゆる産業廃棄物が、島に掘られた巨大な穴に堆積している。今は雨がしみ込まないようにその上にゴアテックスのシートがかぶせられているけれど、かつてはこのゴミの山から汚水が海に流れ出して、海も死んだも同然だったと聞かされ、シートがかぶせられていても、マスクをせずに近寄るのは危険だとも言われました。豊島はゴミの島というレッテルが貼られたために、作物が売れなくなってしまい、昔は盛んだった農業も大きな打撃を受けていることも知りました。
調停そのものは二〇〇〇年に決着していても、島の状況はほとんど何も解決していないわけです。産廃の処理もまだ十年以上はかかると言われています。ニュースとしては終わった話かもしれないけれど、豊島にとっては解決までの道のりはまだまだ遠い。自分にできることは、まずはこの現状を知ってもらうことだろうと、それからは自分があずかる店舗のスタッフに話をしたり、他店の店長たちに話したり、ひとりでも多くの人に興味を持ってもらおうと、まずは伝えることから始めたんです。
スタッフに話をするときには、なんだかんだ言っても現場に行ってみないとわからないよと、そういう話し方をしたんですね。だから、年に二回の植樹ボランティアに一緒に行ってみようという人がだんだん増えていきました。いえ、私も毎回必ず行っていたわけではないんです。新店のオープンのときなどは忙しくて時間がとれなかったので、行けないこともありました。でも、義務として無理をするのではなくて、できる範囲で続けてゆくほうがいいと思うんですね。そうこうするうちにCSR部の方と豊島のボランティアの話をするようになり、やっぱり春と秋の二回だけでは追いつかない部分があるんじゃないかと、そういう話になったんです。何しろ我々は豊島に近いところで働いて、小一時間で行くことができますからね。夏の下草刈りを中心に、仲間を募って日帰りで豊島を訪れる回数を増やすことにしたんです。
夏はつらいですよ(笑)。オリーブがあれだけぐんぐん育つぐらいですからカンカン照りです。タオルとTシャツの替え、それから帽子、作業中は長袖が必需品です。それで朝から二時間、午後も二時間ぐらい鎌を使って下草刈りをします。店舗のアルバイトの学生さんなんかも来てくれて、精一杯働く。でも、我々の作業でできることなど実は微々たるもので、どの程度役に立っているかと考えると心もとないところもあります。一週間もするとまたボウボウになってしまうかもしれません。でもそれぞれの仲間が体験をして、実感のこもった話をその人の周辺に伝えてくれれば、それでいいと思うんです。バーベキューを楽しみにしてくれるのだっていい。島の人とふだんとは違う目線の話をして、店で働いているときとは違う何かを受け取ってくれるのでもいい。その結果として、未解決の豊島の問題をひとりでも多くの人に知ってもらえることになれば、それだけでもとても大きいことなんじゃないかと思うんです」
瀬戸内オリーブ基金は、産業廃棄物の不法投棄事件のあった豊島をはじめとする瀬戸内海の島々や沿岸部に、かつての豊かな自然を再生するため、2000年、安藤忠雄氏、中坊公平氏が呼びかけ人となってスタートしました。㈱ユニクロは、この基金の活動趣旨に賛同し、2001年から店舗での募金活動を行っています。また、従業員に対する環境啓発活動のため、植樹や下草刈り等のボランティア活動も継続して行っています。瀬戸内オリーブ基金は、2007年7月より活動をさらに活性化させるため、NPO法人となりました。
「考える人」2008年秋号
(文/取材 : 新潮社編集部、撮影 : 青木登(桑島氏ポートレイトのみ)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。