プレスリリース

2008年10月07日

全商品リサイクルとUNHCRの舞台裏~「考える人」2008年秋号~

~「考える人」2008年秋号(新潮社)より転載~

普段着の難民支援と衣服の力

国連難民高等弁務官事務所駐日事務所
副代表
岸守 一 (Kishimori Hajime)

同広報官
守屋 由紀 (Moriya Yuki)

 ユニクロはこれまで、「企業の社会的責任」(=Corporate Social Responsibility=CSR)活動の一環として、二〇〇一年よりフリース商品のリサイクル、リユースを積極的に行ってきた。二〇〇六年からは、対象をユニクロで販売したすべての商品に拡大した。毎年三月と九月に店頭で展開する「サンキューリサイクル」がその活動である。お客様の不要になったユニクロ商品を店頭で回収し、エネルギー資源や繊維素材へとリサイクルするとともに、まだ充分に使用できるものについては、難民支援や災害支援の救援衣料としてリユースしている。二〇〇八年三月に行われた「サンキューリサイクル」では、これまでの記録を更新する約九十一万点の商品を回収することができた。
 回収する商品は、著しく汚損したものを対象外としていること、また、お客様に事前に洗濯をお願いしていることもあって、驚くほど状態の良いものばかりが集まってくる。したがって、回収商品の約九〇パーセントは、難民支援や災害支援の救援衣料として扱い、リユースされている。
 難民支援においては、支援を行っている団体や機関の協力を得て、アジアやアフリカの難民キャンプへ衣料の提供を行っている。その具体的な様子は、二〇〇八年六月にエチオピアのソマリア・エリトリア難民キャンプで行われたユニクロの衣料支援活動を記録した写真でご覧いただくことにしよう。あわせて、難民問題についてもう一度おさらいするとともに、衣料支援の意義について考えてみたい。ユニクロからの衣料品提供の申し入れを受け、ユニクロと連携して支援活動を行っているUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)駐日事務所をおたずねした。まずはUNHCR駐日事務所副代表の岸守一氏に、難民問題の歴史的な経緯とその背景からうかがった。

難民問題は、時代とともに変化する

岸守一氏・守屋由紀氏「UNHCRは一九五一年から活動を開始しています。開設当初の東西冷戦時代から現在にいたるまで、活動は途切れることなく続いていますが、国際情勢の変化とともに難民問題にも変化が現れてきました。振り返って考えてみると、おおよそ四つの時代に区分できるのではないかと思います。
 最初は五〇年代。キーワードは『東から西へ』。難民といえば、東側の共産圏の国々から逃れ、西側の民主主義のヨーロッパ諸国へと向かった人々のことでした。これは難民を受け入れることによって、西側が東側よりも優位に立つことになりましたし、受け入れるだけの経済力もありましたから、今思えば、オペレーションとしてはとてもシンプルで扱いやすいものでした。当時は、難民問題はやがて解決し、UNHCRも存在する必要がなくなるだろうと思われていたほどです。今となっては隔世の感がありますけれど。
 次の時代が六〇年代から七〇年代。キーワードは『南から北へ』。ここで地理的な新たな展開がありました。それまではヨーロッパに限られていた難民問題が、アジアやアフリカに広がってしまったのです。更に、単に迫害を逃れるだけでなく、避難したあと経済的、社会的に豊かな国々へ移動するという流れも生まれました。一例をあげれば、当時のアルジェリア難民は、地理的に言えばポルトガル、イタリア、ギリシアも選択肢としてあり得たにもかかわらず、九九パーセントがフランスに向かいました。それはかつてフランスの植民地だったため言葉に不自由しないということだけではなくて、フランスに行けば生活が豊かになるのではないか、という期待が難民の動きを規定したと考えられるのです。この時代から、移民と難民の区別をどうすればいいのか、という現在でも大変微妙で扱いの難しい問題が浮上し始めました。
 そして、八〇年代は『南から南へ』。東西冷戦が代理戦争のかたちをとるようになって、激化し、その結果としてアフガニスタン、エチオピア、エリトリア、ソマリア、さらにラテンアメリカでも難民が急増しました。ところが、たとえばアフガニスタンから逃れてゆく先はパキスタンやイランであって、アルジェリアからフランスへ向かった難民とは違い、必ずしも生活条件の改善は期待されなくても避難せざるを得ないという状況が生まれたのです。
 九〇年代に入ると、難民化の力学自体に大きな変化が生じました。それは冷戦が終結して、戦争の性格が変わったことと関係があります。国際紛争のうち、主権国家間の戦争というものが限定的にしか行われなくなったかわりに、宗教や民族問題などが発端となった内戦が始まり、ユーゴスラヴィアのように、結局、八つの国に分かれてしまうような事態が起こるようになったのです。その結果自国内で避難を続け、難民にすらなれないケースが増えてしまいました。彼らを国内避難民(Internally Displaced Person)、IDPと呼ぶのですが、本来ならば主権国家の内側で起こった問題なので、それまでのUNHCRでは関与しにくい問題でした。
 また、もう一つの問題は、和平合意等のおかげで自国へ帰って来ても、自分の家がない、あるいは家に他の人が住んでいたとか、井戸が涸れてしまった、学校がなくなってしまった、などということになっている。こうした苦境に耐えかねた帰還民がふたたび難民になってしまうという悪循環も起きていました。緒方貞子さん(元国連難民高等弁務官)はこういう事態を『難民の連鎖』と表現されたのですが、この連鎖を断ち切るために、帰還した難民が、安心と希望をもって暮らせるようになるまでUNHCRが可能な支援をしようというオペレーションが始まりました。
 こうして九〇年代以降、難民支援に加えて、UNHCRは国内避難民及び帰還民に対する支援も行うようになったのですが、現時点でその数は三三〇〇万人にも上っています。それに伴って一九五一年のUNHCRの開設当初は、たった三三人だった職員は今や世界で六二六〇人に増え、当初三〇万ドルに過ぎなかった予算は十四・五億ドルにまでふくれ上がりました。UNHCRの究極の目標は、難民問題が解決してUNHCRが不要となる世界が実現することですが、それとは反対の方向へ進んでいるのが現実です。
 激動の九〇年代に国連難民高等弁務官を一〇年間務められた緒方貞子さんは、多様化する難民問題に対応できる現在のUNHCR組織の基礎を作られたと同時に、わかりやすい言葉で目標を掲げていました。それは『難民のために、難民と共に』でした。支援対象を国内避難民や帰還民にまで広げたのは、その目標があったからこそです。その原理原則は、緒方さんが在任中の十年間、一度も揺るがなかったように思います。
 私たちがいま日本で取り組んでいるのは、緒方さんの精神をそのままに、『普段着の難民支援』をキーワードにして、難民及び難民支援のイメージを改善し、UNHCRの活動に企業や芸術家、学生やメディア等、いろんな方が参加することで、柔軟さと楽しさを加えたい、ということなんです。今の日本ではまだ、難民といえばアフリカのキャンプで援助を求めている可哀想な人というイメージが強いと思います。実際には、アインシュタインが難民だったように、際立った頭脳の持ち主もいますし、足の速い人や歌が上手い人もいるのですが。難民支援についても、緒方さんや外務省やNGOのような特別な人だけが行える立派な慈善活動というイメージが一般的です。だから自分には関係ないと、だいたいの人は思ってしまう。それを変えたい。
『普段着の難民支援』とは、人道外交の場に正装して臨むことでもなく、作業服や長靴を履いて井戸を掘ったりするだけでもなく、普段の自分の素のままで一緒に難民支援をしましょうという呼びかけです。これまでもサッカーや料理、映画などを通じた一風変わった難民支援を展開してきました。企業から見れば、本業を活かした難民支援ですから、ユニクロが衣服を通じてUNHCRの活動を手伝ってくれるのは二重の意味で『普段着の難民支援』です。また、消費者の観点から見れば、新しい服を買う時にそれまで着ていた服を洗濯してユニクロに戻すと、それが難民支援になる、という気楽で身近な活動です。誰にでもできますし、誰かの役に立つことは気持ちもいい。自分が昨日まで着ていた服を明日世界のどこかの難民が着るかもしれない。そんなふうに思うことで難民や難民を支援する人たちのことを、自分に近いところで捉えなおしてもらえたらと願っています」

衣服には意外な力がある

 それではユニクロの衣料支援にはどのような意義があるのだろうか。UNHCRの広報官で、ネパールやアフリカでの衣料支援に同行した守屋由紀さんに、詳しいお話をうかがうことにした。
「難民にとってまず大切なのは、人が人として生きてゆくための水であり、シェルターであり、食糧、そして医療ということになります。本来ならば人間の尊厳にかかわる衣食住のうち、衣の部分というのはそれら最優先すべきものに較べると、どうしても後回しになってしまうんですね。難民キャンプに行くと、夜寝る前に着ていたTシャツを洗って、そのあたりに干しておき、朝に乾いていたらそれをまた着る、というような状態が珍しくありません。ところが、衣料が果たす役割は実はとても大きいんです。防寒、防暑はもちろん、安全や衛生面でも必要なものなんですね。
 アフリカの難民キャンプなどでは、蚊を媒介にしたマラリアが流行っているところもあります。だから半袖に短パンで素肌が大きく露出していると、蚊にさされるリスクが高くなります。それに衛生状態が悪いところでの擦り傷や切り傷が思わぬ感染症を引き起こしてしまうこともある。 
 女性にとっても衣料の問題は大きい。衣料が不足しているために、小さな女の子がからだが露出してしまうようなぼろぼろの服でいたり、下着がなかったりすると、性的搾取の対象になりかねません。女性は生理の問題もあります。人間の尊厳、女性の尊厳を守るためにも、衣服はとても重要です。
 今回行ったエチオピアの難民キャンプでは、衣料を配布し始めると、『これじゃなくて、そっちがいい』『あっちがいい』と衣服に対して積極的に選びたいという意志を見せていた人がたくさんいたのが印象的でした。目も輝いているんですね。衣服が生活の上での潤いにもなる、ということが伝わってきました。ネパールの難民キャンプでは男女とも赤い色のものが圧倒的に人気でした。これは文化的な、あるいは宗教的な背景もあると思うのですが、こういうことは現地に行かないとわからないことですね。サイズの問題もありますし、もちろん、宗教上の理由によって女性が肌や体の線が出るものを着ないという文化圏の人たちに対し、ノースリーブやミニスカートを持ってゆく、などということはあってはいけないことで、そのような配慮はつねに必要です。
 それまで同じものを着回していたから衣服には関心が薄いかというとそうではない。自分をよりよく見せたいという気持ちは、状況がどうであっても変わりません。キャンプの単調な生活のなかで、気持ちの上での明るさにもつながります。衣服は自己表現の一手段なんです。
 教育への動機付けとしても衣料は役割を果たします。学校に行きたくても着るものがないために行けない、という場合が少なくない。キャンプに長期にわたって滞在していると、どうしても依存心が強くなり、自立のさまたげになる場合もあるのです。ところが、衣料がきっかけになって、大きな変化が現れる場合があるんです。最近私が見た例では、エチオピアの難民キャンプで、ミシンの提供があって以降、女性たちが子どもたちのための制服をいっせいに縫い始めたんですね。制服をつくる、という仕事が生まれることによってキャンプの雰囲気ががらりと変わった。そればかりではなく、自立するための技術が身につきますし、社会参加へのステップにもつながります。衣服を求める気持ちが、彼らの未来をつくりだしてゆくんですね」
 いつのまにか着なくなっていた一枚の服が、あなたのクローゼットの奥に眠っている。それは世界のどこかの誰かにとって、必要な一枚となる可能性がある。次回のユニクロの全商品リサイクルは、来年三月に予定されている。

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uniqlo_logo.gif私たちは、企業理念からつながる「高い倫理観を持った地球市民として行動」したいという思いから、2006年より、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協力して、世界規模の社会問題である難民問題に対して、服を通じた支援活動を行っています。年2回、全商品リサイクル活動を通じてお客様からお預かりした衣料を、UNHCR駐日事務所と協働で世界中の難民キャンプに寄贈しています。今後は衣料の支援だけではなく、難民の方たちへの職業訓練などを通じた現地の自立支援にも取り組んでいきたいと考えています。


「考える人」2008年秋号
(文/取材 : 新潮社編集部、撮影 : 上岡伸輔(アフリカ難民キャンプ)、青木登(UNHCRポートレイト)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。