2009年07月09日
障がい者雇用の舞台裏 ~「考える人」2009年夏号~
~「考える人」2009年夏号(新潮社)より転載~
誰もが対等に働くことのできる場所
(株)ファーストリテイリング人事総務部長
植木 俊行 (Ueki Toshiyuki)
ユニクロ東京ドームシティラクーア店
尾形 勇旗 (Ogata Yuuki)
障がい者が企業で働くための環境は、まだ充分に整えられているとはいえない。国で定められた障がい者の法定雇用率は、一・八パーセント。百人の従業員の企業なら、一・八人の雇用を実現することが求められている。しかし、法定雇用率を達成している企業は、半数にも満たないのが現状だ。大企業のなかには、法定雇用率を達成するために子会社を設立し、特定の仕事だけを用意して、障がい者をまとめて雇用するケースも見られる。
企業の声が聞こえてくるようだ。「理念はわかる。たしかに社会にはそのような仕組みが必要だ。しかし限られた人数で成果をあげねばならぬとき、障がい者を雇用していては作業の効率が下がるのでは。今は正直なところその余裕はない」。
ほんとうに、そうなのだろうか?
ユニクロでは二〇〇一年、柳井正代表取締役会長兼社長が号令をかけた。
「ユニクロの全店舗に最低一名は、障がいのある方を雇用します」
柳井氏の考え方はシンプルである。法定雇用率を達成するために、ということではない。世の中には障がいのある人がいる。その人たちと一緒に働くのはあたりまえだ。そしてそれは会社にとっても社会にとってもあきらかに良いことなのだから、すぐに実行すべきだ、と考えたのだ。
企業は社会的な存在である。社会の公器としての企業が、いまなすべきことは何か。それは、ひとつの重要な経営判断でもあった。
約八年が経過し、ユニクロの雇用率は一・八パーセントをはるかに超え、二〇〇八年度は、八・〇六パーセントとなっている。しかしそれは柳井氏が現場の尻を叩いて実現させたものではない。トップダウンの号令は最初だけだった。あとは現場の、つまり店舗のトップである店長の判断で、一店舗に一人以上の雇用が浸透していったのだ。
なぜ、そのようなことが実現できたのか。人事総務部長の植木俊行氏にお話をうかがった。
気配り、目配り、心配り
「いちばん印象的だったのは、沖縄の那覇の店舗のケースでした。聴覚障がい者を雇用したことによって、予想していなかった変化が現れたんです。それはひとことで言えば、〝配慮〟なんですね。誰かが困っていたら、みんなでカバーしようという配慮。これは店舗にとってつねに重要なことで、那覇の場合は、聴覚障がい者が加わることで、彼女をカバーしようという配慮がうまれ、店舗全体のチームワークがさらに強化された。彼女自身がとても明るい、サービス精神にあふれた人でしたから、スタッフが彼女から手話を教えてもらったりもして、店員同士のコミュニケーションも深まりました。メンバーそれぞれが潜在的にもっていたものが表に現れ、発揮されるようになった。
私たちは日頃から、お客さまへの気配り、目配り、心配りを意識するようにしています。聴覚障がいのある仲間が入ってくることによって、ユニクロのサービスの本質にあるものをあらためて意識することができたんだと思います。考えてみれば、私たちにだって得意なこと、不得意なことがあります。たとえばジーンズの補正をやれと言われても、私には上手くできません(笑)。その意味では、障がい者をこちらから一方的にカバーするというのではない。お互いに補いあっている部分がかならずあるのです。
ウィンタースポーツ中に事故に遭い、高次脳機能障がいになった方のケースもあります。彼の場合は十分前のことを覚えていられない。忘れないようにメモをとっても、そのメモの存在を忘れてしまう。店舗に配属された当初、忘れてしまうことに本人自身が強いストレスを感じていて、トイレに閉じこもってしまうこともあったようです。けれども仕事に慣れてくるにしたがって、できることが明らかに増えていった。それが自信につながり、今ではバックルームにある商品の状況をすべて覚えていられるまでになっています。
大阪の店舗で働く四肢障がいの人は、もう十年近いベテランです。新人のアルバイトのよき相談相手で、兄貴分として頼られる存在になっている。人望が厚いんですね。
私たちは、障がい者だからといって特別扱いするのではなく、他の社員と対等に働いてもらうことを原則にしています。まわりが気を遣いすぎると、もっと伸ばせるはずの能力が引き出せないかもしれない。いまはまだいませんが、店長になることだって、目指してほしいと思っています。
仕事をスタートするときには、必ずジョブコーチと呼ばれる人がサポートしています。それまでの環境によっては、そもそもバスに乗ったり電車に乗ったりして会社に通うこと自体が初めての経験、という人も多いのです。通勤のサポートはもちろん、店舗での働き方についても、ケース・バイ・ケースで様子を見ながら、二ヶ月から四ヶ月ぐらいかけて、支援をします。手伝いすぎずに適正な距離をたもって自立をうながすのは、実はけっこう難しい。専門アドバイザーであるジョブコーチの存在は重要です。
最近、東京ドームに隣接する店舗で仕事を始めたばかりの、知的障がいのある社員がいます。職業訓練校でミシンの縫製技術を身につけ、障がい者の技能大会「アビリンピック」の二〇一一年ソウル国際大会に日本代表選手として出場予定の人です。この四月から毎日、千葉県の木更津から東京の後楽園までひとりで通勤しているのですが、一ヶ月あまりでジョブコーチのサポートが不要になるぐらい、いきいきと仕事をしているようですね。彼の様子を見ていると、ご家族の精神的なサポートも大きいと感じます。過干渉にならず、上手に背中を押して、社会に出て働けるようになったことを素直に喜んでくださると、本人にはそれが何よりの励みになるようです」
落ちついて丁寧に、慎重に
東京ドームシティ・ラクーア店に尾形勇旗さんを訪ねた。午前十一時の開店まであと一時間。十九歳の尾形さんは誰の指示を受けるわけでもなく、店内の掃除を行っていた。バックルームでお話をうかがった。
もう慣れましたか?
「はい。慣れました」
朝は何時に起きるんですか?
「朝起きるのは、五時五十分です」
早いですね。朝ご飯は何を食べました?
「きょうはハンバーグです」
家は何時に出ますか?
「六時二十分ぐらいに出ます」
まず駅に行くんですか?
「はい。自転車に乗って木更津駅に行きます。それから七時九分木更津発の、海ほたるのバスに乗って、東京駅まで行きます」
アクアラインの高速バスですね。バスのなかでは何をしていますか?
「眠ります」
眠ってしまって起きられないことはありませんか?
「バスに乗るときに行き先を言います。八重洲口という放送も聞いているので大丈夫です」
東京駅に着いたら、次は何に乗りますか?
「地下鉄の電車に乗って行きます」
ここの後楽園の駅にはだいたい何時頃に着きますか?
「早いときは、八時三十三分です」
店がオープンするまで尾形さんは何をしていますか?
「掃除しています、掃除機で。掃除機が終わったら、鏡をふきます。鏡をふいて時間があれば床の黒ずみをとります」
家でも掃除はしますか?
「はい。掃除はします。洗濯物を干したり、ゴミ捨てとかもします」
朝礼は何時からですか?
「十時四十五分です」
朝礼が終わったら次は何をしますか?
「インカムを持って、店長さんに指示をお願いします、と言います」
尾形さんはミシンが上手だそうですね。
「何度も、ミシンはやっていたのです。
中学校のときには鉢巻きとかエプロンをつくりました。ひもが後ろについているエプロンです」
ぼくはミシンが苦手なんです。どうすればうまくなるんでしょう?
「そうですね、まず下糸がちゃんとはまっているかどうか、確認をします。それをすれば大丈夫かなと」
気をつけなければいけないことは?
「落ちついてやればうまくいきます」
誰かにそう教えてもらったのですか?
「お母さんが、落ちついて丁寧に、慎重に仕事しなさいと言って」
お母さんはどういう人ですか?
「やさしいお母さんです」
お母さんにほめられていちばんうれしかったことは何ですか?
「ズボンを何枚も補正して、時間もぴったり終わったことを話したとき、すごいってほめられたことがあります」
働くのはどういう気持ちですか?
「楽しいです」
仕事は何時に終わりますか?
「六時三十分です」
木更津の家に着くのは何時ですか?
「バスが早ければ、着くのは八時十一分です」
眠る時間は何時ですか?
「十時三十分にねます」
お給料をもらったとき、どんな気持ちがしましたか?
「自分で働いたお金だなと」
もらったお給料は、どういうふうに使いますか?
「うちの家族と、先生方に、お礼をしたい」
いい話をきかせてくれてありがとうございます。
「こちらこそ、ありがとうございました」
あたりまえのこと
大石彦太郎店長に話をうかがった。
「店長としては、ここが四店目になります。それぞれの店で障がいのある人と一緒に働いてきました。最初の店は、知的障がい者であると同時に、極度の対人恐怖症がある人で、いま思えば、彼に対する自分の対応は指導に傾きすぎていたなと思います。励ますつもりで声をかけたことが逆効果になって、精神的なプレッシャーをかけてしまった場面が何度かありました。
二つ目の店でいっしょに働いたのは、もともとIT業界でシステム・エンジニアをしていた三十代後半の男性で、厳しいノルマの仕事になじめず、精神を患った方でした。その前の店で学んだように、こちらが気楽な気持ちで『頑張ってね』と声をかけると、かえってプレッシャーになる場合がある。だからリラックスしてもらえるようなかかわりかたを心がけました。ラクーア店に移ることが決まったとき、彼と話をしたら『あと一年間はユニクロでお世話になって、それからまた、自分の専門の仕事に戻ろうと思っています』と言ってくれました。あの言葉は、ほんとうにうれしかったですね。
四月から働くようになった尾形さんは、最初はとても緊張していたんです。でもすぐに打ち解けました。業務に対する姿勢も意欲的で、まじめで、働くということを学校の延長線上で考えてはいけない、とたぶんお母様から教えられていたんですね。挨拶もしっかりとしていましたし、学校での教育はもちろんですが、家のなかでの教育も、とてもしっかりとなさっていたんだなと思いました。
いまお話したように、これまで店長をつとめてきた店には、すべてスタッフに障がい者がいました。それがあたりまえだと思っているので、他の企業にくらべて格段に進んでいると言われても、へえそうなのかと驚いてしまいます。
尾形さんが働くようになって、店の空気が微妙に変わりましたね。それまではバックルームで食事をとるときに、新人がひとりでポツンと食べているようなこともあったのに、尾形さんが入ってくれてからは店員同士のコミュニケーションがより活発なものになって、そういう光景を見かけなくなりました。尾形さんにとってだけでなく、店舗で働くみんなにとって確実によい変化がもたらされている。でもこれはごくふつうの、あたりまえのことなんだと思います」
ユニクロは、2001年より「1店舗1名以上」を目標に、障がい者雇用に取り組んできました。現在は9割に近い店舗で雇用が進み、全社の障がい者雇用率は法定の1.8%を大幅に上回る8.06%となっています。今後は店舗にかぎらず、本部やグループ会社でも、積極的に雇用を進めてまいります。07年には、当社の継続した障がい者雇用への取り組みと高い雇用率が評価され、内閣府より「再チャレンジ支援功労者表彰」が授与されました。これからも、多様な人々がおたがいに配慮し合い、生きがいをもって働くことのできる職場環境を継続して作ってまいります。
「考える人」2009年夏号
(文/取材 : 新潮社編集部、撮影 : 広瀬達郎
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。