2010年04月22日
「ユニクロ渋谷道玄坂店」オープンの舞台裏 ~「考える人」2010年春号~
~「考える人」2010年春号(新潮社)より転載~
店舗にとっていちばん大切なもの
ユニクロ渋谷道玄坂店 店長
前田 秀昭(Maeda Hideaki)
渋谷は難しい。他の業種の方と話をしていても、「渋谷は難しい」と、同じようにおっしゃいます。新宿、池袋、銀座はいいんです。小売業をどう営んでいけばお客様に来ていただけるのかの見通しが立てられる。渋谷に似ているのは原宿ですね。原宿も難しい。
渋谷や原宿が小売業にとって難しい最大の理由は、集まってくる年齢層が限られているということです。十代、二十代が中心。新宿、池袋、銀座に較べると、家族で渋谷にいらっしゃるというパターンがとても少ないんです。圧倒的に若い人の街なんですね。
十代、二十代の人たちは、そこに集まってきてもあまり買い物をしません。自分で自由に使えるお金をたくさん持っているわけではないので、買い物が第一の目的ではないからでしょう。これは自分の若い頃のことを思い起こせば、思い当たることです。
もうひとつ、私たちにとって大きな課題があります。それは渋谷に集まってくる十代、二十代の若い人たちが、私たちユニクロにとって、まだまだ開拓途上の世代だということですね。
ユニクロの服は、男女を問わずあらゆる世代のお客様からご支持をいただくことを目指しています。しかし課題として残されているのは、十代、二十代のお客様なんですね。相対的にみると、まだこの年齢層に弱いところがある。この数年で若いお客様が右肩上がりで増えているのはたしかなのですが、まだまだというのが私たちの認識です。
ですから、若い人が集まってくる渋谷の道玄坂にユニクロをオープンするのは、私たちの抱える課題に正面から取り組むための、満を持したプロジェクトなんです。他の地域に出店するのとは、意味合いも、担う役割も、違ってくる。
渋谷にはお客様がいないわけではありません。毎日、たくさんの人が集まってくる。その方々にお店に入っていただけるようにするにはどうすればいいのか。これを考えればいいわけです。
私はユニクロに入って十五年になりますが、最初の頃は、お客さんが入りたくなるような店とは何か、という基本的なことすらよくわかっていませんでした。
スタッフの表情が変わる
私は大学を卒業して、関西にある婦人服の小売業の会社に就職しました。まもなく梅田にある店の店長を命じられたのですが、店内のレイアウトも商品のディスプレイもすべて自分で考えなければなりませんでした。夏だったら店内の小物としてヒマワリの花を飾ったり、海のイメージを演出するようなマリン風の飾り付けをしたり、本や雑誌を買ってきては見よう見まねで自分なりにやっていました。商品知識も自分で身につけなければならなくて、パイル地とは何かとか、コーデュロイにはどういうタイプがあるのかとか、細かく調べて勉強しました。お客様に納得いただけるように説明できなければ、しっかりと商品を売ることはできないと思ったからです。必要に迫られたら自分でやるしかないですし、そのほうが身にもつく。
ところが入社して三年目の、稼ぎ時のバーゲン期間中にひどい風邪をひいてしまった。休むわけにいかないので、無理をして、点滴を打ちながら働いたんです。それで風邪をこじらせてしまい、熱が下がらなくなって入院。悪いことは重なるもので、ちょうど同じ頃に兄が亡くなったんです。退院したら、今度は九州の店に異動が決まっていました。しかし兄の死と私の入院が重なって憔悴しきっている父母を残して、九州に転勤はできないと思ったんですね。でも当時の会社は古い体質が残っていて、転勤を断ったら退職というのが不文律でした。しかたないので、後先も考えず退職することになりました。
それからまもなく、ユニクロという会社があるのを知ったんです。
十五年前のユニクロは、関西でもまだ二店舗か三店舗しか店がない頃で、知名度はまったくありませんでした。ところが調べてみると、給料は普通の小売業からみたら設定が高い。品質のいいものを安く売るという姿勢もはっきりしている。しかも驚いたことに、日本ですらまだほとんど知られていないのに、「世界一を目指す」なんて言っている。何だろうこの会社は、と思いました。
会社説明会に行って、入社試験を受け、山口の本社まで行き、柳井社長の面接を受けました。入社が決まって最初に配属になったのは、住吉我孫子店という新しくオープンする店でした。入社後に二週間だけ、尼崎店で研修を受けましたが、住吉我孫子店に配属された新入社員は私だけで、五十人近くいるスタッフを、レジの操作すらまだ満足にできない私が指導しなければいけない。いきなりそういう場所に放り込まれたんですね。自分が教える立場にありながら、毎日学ぶことにも必死でした。
それからまもなく資格試験を受けて店長になりました。店長になると、新店のオープンを何店か担当することになったんです。これが大変といえば大変、面白いといえば面白い経験でした。
何しろ新店のオープンラッシュの時代でしたから、うまくいく店もあれば、うまくいかない店も出てくるわけです。今はもう解散してしまったのですが、新店オープンの対策として「新店立直しチーム」ができた。そのメンバーにもなりました。次々にオープンする新店のフォローをしたり、うまくいかない店舗に入ってアドバイスをしたり、最適の売場をつくるにはどうしたらいいのか、あちこちの店に飛んで行き、スタッフとやりとりする日々でした。
この「新店立直しチーム」のリーダーが、ものすごく厳しい人だったんです。この人に出会っていなければ、今の自分はなかったと思う。それぐらい影響を受けた人でした。私の土台をつくった人です。
「前田君、あの店舗はどこが悪いんだと思う?」
と突然質問される。あれこれ頭に浮かぶことを整理して、「たぶんこういうことだと思います」と答えると、「いや、違うな」とあっさり言われる。「じゃあこういうことでしょうか?」「いや、違うな」。
違う、というだけで答えは絶対に教えてくれない。「違う」だけじゃなくて、いい線まで近づくと、「惜しいな」「惜しいけど違う」になってくる(笑)。今思えば、答えを言ってしまったらそこでおしまい、何も身につかない、という考えだったのだと思います。自分で気づくことが何よりも大事で、ああしろこうしろと指示するだけでは意味がない、という教育だったんですね。
とにかく本質的な問題については自分の頭で考えて答えを出せ、という人でした。いつも「前田君、君自身はどう思うの?」と聞かれる。その一方で、立ち居振る舞いについてはその場で叱られる。たとえば歩き方。靴が音を立てるようなペタペタした歩き方をしていたら「なんて歩き方してるんだ。ペタペタ音を立てるんじゃない!」と一喝されます。
立直しの必要な店に一緒に行ったとき、こんなこともありました。
清掃は商品をきれいに並べたりすることより、あらゆることから優先して行わなければならない。これは私もわかっていたんです。ところが、それだけじゃなかった。清掃はこれですべて完了と思っていたら、リーダーが「隣りの雑草はそのままでいいのか? ちゃんと刈っておきなさい」と言う。店の隣りがたまたま空き地で、雑草が生え放題でした。これも刈れという。つまり自分の店だけきれいじゃダメっていうことなんですね。草刈りの道具を用意して、みんなでわーっと草刈りをしました。
ここまでやらなければいけないのか と最初は驚きました。しかし、スタッフと一緒に草刈りをしながら、地域密着型というユニクロの考え方は、こういう具体的なことをきちんと実行しなければ意味がないと体で覚えられたんですね。お題目ではないんだと。
大汗をかいて、みんなで草刈りをして、隣りの空き地が見違えるようにきれいになると、店を外から見た雰囲気がガラッと変わりました。しかもスタッフのまとまりも俄然よくなった。表情まで変わったんですね。
この店は立直しの取り組みを終えたときから、売上げの数字がはね上がりました。
「新店立直しチーム」のリーダーは、「悪い店といい店の違いは何か。自分で考えてみてくれ」とつねに私に言い続けました。バックルームに商品が山積みなのに、売り場のボリュームがまったく足りていないとか、裾直しの補正にかかる時間がスタッフによってかなりの差ができてしまうとか、目に見えないところや手の届かないところまで清掃が行き届いているかとか、項目をあげていけば、ほんとうにたくさんある。
「新店立直しチーム」で二年間鍛えられながらここで学んだことは、ものすごく大きいですし、自分の働く土台がしっかりできたと思っています。
その後は、七店舗ぐらいを束ねるスーパーバイザーを、その次には六十店舗をまとめて見るブロックリーダーを担当することになりました。そこではじめて関東に移ってきたわけです。以後、経営的視点で全体を見渡すマネジメントの仕事を続けてきました。
これまでのユニクロとは違う店に
そのうちにSS店長制度というのがスタートしました。成果次第で年収が一千万円を超える制度で、私は店長という仕事が肌にあっていましたし、現場でお客様に接しながら働くことが何より好きでしたので、この制度に応募しました。
最初に担当したのが、横浜の伊勢佐木モール店です。この店の特徴はとにかく繁華街にあることでした。近くには風俗店もある地域で、しかも家賃が高く、お客様も多国籍、万引きなどのロス率も高く、採算のとれていない「収益改善店舗」に指定されていました。このままでは閉店の可能性もありました。
「悪い店といい店の違いは何か。自分で考えてみてくれ」と、「新店立直しチーム」のリーダーがつねに私に問い続けてきたことが甦ります。それはチェック項目であげられるような細かいことができていればいい、ということではないんです。
いい店というのは、例外なくスタッフの目が輝いている。それはひとりひとりに目標がある、ということなんです。つまり店長に明確な目標があり、それをスタッフが共有できている。あるいはスタッフひとりひとりに、個人的な目標がしっかりとある。その目標を実現するために何をすればいいのか。そこから細かいポイントが具体的に浮上して、ひとつひとつ改善していけばいい。チェックポイントを闇雲に改善すればいい店になるのではない。まずは目標なんです。そこからしか始まらない。リーダーが私に問い続けていた答えはそういうことでした。
収益もあげられず、店舗の環境も悪い。スタッフの目は澱んでいる。そんな伊勢佐木モール店の店長になったとき、最初に実行したのはスタッフひとりひとりとの面談でした。私はひとりひとりに自分の将来の夢を伝えましたし、スタッフが望んでいることもじっくり待つようにして聞きだして、そのためには何をすればいいのかを話し合っていきました。
それから三年後に、伊勢佐木モール店は営業成績はもちろん、あらゆるチェックポイントで審査されるユニクロの社内報奨制度で、全国ナンバーワンの店舗になり表彰されました。三年一緒にやっていくうちに、スタッフの表情がまったく違うものになっていて、目標がいかに大事なのかということを、私もここで学んだわけです。
店というのはほんとうに生きもののような存在です。息を吹き返すこともあれば、死んでゆく場合もある。場所が悪いと決めつけてしまうと、もうそこでお終いです。生かすも殺すも、なかで働く私たち自身のやり方次第なんです。
渋谷道玄坂店はこれまでのユニクロの店舗と違う、コンセプトショップのようなものにしたいと考えています。品揃えも他の店とは一線を画すものにしたい。渋谷に集まってくるお客様が望んでいる商品群をセレクトして、着こなしの提案もふくめ、店舗に入ってくるだけでも「面白いな」と思っていただける、そんな店にしたいと考えています。
課題はまだまだ山積ですが、約二百人いるスタッフの目は生き生きとしていますよ。オープンまでは残業が続きそうですが、休みはきちんととり、好きな映画を見たりしながら、バランスをとって、スタッフとともに目標に近づいていきたいと思っています。
(インタビューはオープン前に行われました)
ユニクロは今春、ロシアに初出店するほか、中国上海に世界で4店舗目のグローバル旗艦店を開店するなど、さらなるグローバル化を計画しています。その流れのなか、東京有数のファッションストリートである渋谷に新たなメガストア「ユニクロ渋谷道玄坂店」をオープン。地上2階、地下1階の売場面積約600坪。東京都心に立地する店舗として最大級の売場面積を誇ります。地下1階は東京メトロ、東急田園都市線の渋谷駅に直結。今後も、東京都心をはじめ全国の主要都市中心部に大型店舗を積極的に展開して参ります。
「考える人」2010年春号
(文/取材 : 新潮社編集部、撮影 : 青木登
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。