プレスリリース

2010年04月22日

ロシア号店「ユニクロ アトリウム店」オープンの舞台裏 ~「考える人」2010年春号~

~「考える人」2010年春号(新潮社)より転載~

日本文化とValue for money

LLC UNIQLO (RUS) 代表
山田 直芳(Yamada Naoyoshi)

LLC UNIQLO(RUS)代表 山田直芳氏 大学を卒業して日商岩井に勤務していた時代は、ロシア向けの自動車販売の仕事を担当していました。入社したのは一九九一年です。ちょうどその年の暮れにソビエト連邦が崩壊しました。偶然ですが、ロシア革命から七十四年目のソ連崩壊の年に、日商岩井に入社していたんですね。そのような激動のさなか、ロシアとの貿易の担当になったわけです。
 ソ連時代は、日本から機械などを輸出して、ソ連からは木材などの資源を輸入するのが中心でした。しかも相手は政府機関の公団です。一般の消費者に向けて自動車を販売するのは、ソ連が崩壊した後になって初めて成立する、まったく新しいビジネスでした。
 ほとんどゼロからのスタートでした。ソ連時代から続く古い慣習と、崩壊後の新しい動きとが交錯するロシアで、まずはディーラーとして動いてくれるパートナーを探し出さなければならない。これが最初の難関でした。
 民間企業にも旧政府系のものと新たに起業してできたものがあるんですね。取引先としてどの程度信用できる相手なのか、これが表に出てくる数字や書類を見ているだけでは、なかなかわからない場合が出てくるんですね。株式を上場しているわけではありませんでしたから、表に出る財務諸表が赤字でも、実際の経営状態は特に問題ない、という場合だってあるわけです。
 ソ連の物流体制は欧米や日本ほどしっかりしていなかったですし、企業にも充分な資金があるわけではなかったんです。クルマの需要があるのはわかっていても、信頼に足る取引を成立させるにはどうしたらいいのか、お互いに納得できる新しい仕組みをつくってゆく必要がありました。暗闇のなかを手探りで前へ進むようなものですが、とにかくやるしかない。
 試行錯誤の末に、ロシアでの自動車販売の仕組みにめどが立ってくると、今度は日本に戻って会議で説明しなければならないわけです。当然のことながら「相手の会社がこんな赤字決算で大丈夫なのか」と指摘されます。社内の合意形成のためにも、説得材料と時間が必要でした。
 クルマを売るには、前金を受領してから三ヶ月も四ヶ月も顧客を待たせるわけにはいきません。つまり現物がなければ商売にならないわけです。当初はわれわれの資産としてクルマをロシアへ運び込み、委託販売のスタイルで始めるしかありませんでした。しかも扱う台数が増えてゆけば、一台一台の在庫管理が大変になってくる。これも経験しながら徐々に学んでゆき、軌道修正するしかありません。
 スタートしてしばらくしてやっとビジネスが軌道にのり始めたところで、九七年にアジア通貨危機が起こりました。その余波にロシアの財政危機が重なってしまい、世界的に金融不安が広がりました。九八年からクルマの売上げも急落し、しばらくのあいだ低迷が続きました。
 解決したと思うと、つぎつぎに難問が現れる。しかも初めての難問ばかり。それをすべてマニュアルなしで解決しなければならない。それがロシアでの仕事でした。それでもやりがいはありましたね。ロシア事業で経験したこと、学んだことには、今ふりかえってみても計りしれないものがあったと思っています。
 日商岩井を退社する二〇〇〇年までには、ロシアの会社との合弁で自動車販売会社をつくるところまで漕ぎつけました。ロシアばかりではなく、周辺国のウクライナやカザフスタンにもビジネスのフィールドを広げました。ウクライナではバスを現地生産するようにもなっていたんです。ロシア事業にかかわるようになって十年が近づいた頃には、自分の仕事にもなんとかひとつの区切りがついてきたわけです。

幹部候補生は日本で研修

 私の父親も商社マンでした。母親はロシア人です。子どもの頃はモスクワ駐在になった父親に連れられて、小学校の四年生から中学二年までモスクワで暮らしました。ただ、日本人学校に通っていましたから、教育のバックボーンは日本です。家庭内ではロシア語でのやりとりはときどきありましたし、大学時代には第二外国語はロシア語でしたから、自分がロシアにかかわる仕事に就いたのは、外から見れば必然だったのかもしれません。
 クルマは私の趣味でもありました。そこに「ロシア」という自分にとってのキーワードを結びつける仕事ができたわけですから、かなり恵まれていたと思います。ただ、十年近く同じ場所で働いているうちに、何か新しいことにチャレンジしてみたいという気持ちが芽生えてきたんですね。一度は違う世界に飛び込んでみたいと考えるようになりました。
 そんな折りに、ユニクロという会社が急成長していて、しかもこれから海外進出するらしいと耳にしたんです。海外で新展開しようとしている若い会社で、新しいチャレンジングな仕事に自分も加わってみたい、そう思ったんですね。
 ユニクロに入りたいと考えていたときには、自分がやがてロシアを担当することになると予想していたわけではありませんでした。ロンドンから始まる海外進出は、欧米を中心に展開していくのだろうと思っていましたから。しかし、いつかはロシアを担当できればと考えていました。
 入社して、まずは世田谷区の店舗に配属になりました。約半年間、現場に出て小売りの基礎から学びました。その次には、イギリスでユニクロをオープンする準備もあって、本部の在庫コントロール部に移り、実務のノウハウを徹底的に身につけることになりました。ここで約一年。それからユニクロUKに異動です。
 当初、ロンドンがうまくいかなかったのは、日本のユニクロの方法論をそのまま向こうに持っていけなかったことが大きかったと思います。幹部候補生のキャリア採用が現地で行われて、ロンドンの有名な百貨店やブティックのディレクター、マネージャークラスの人が次々に入ってきたんです。アパレル業界での知識と経験を積んできた人たちですから、イギリス流の仕事の方法をユニクロでも同じように展開しようとした。考えてみれば当然のことですが、日本で成功したわれわれの方法が、世界では通用しないよと言われたら、海外での展開そのものが難しくなってしまいます。ロンドンの特殊性、みたいな言われかたに、無意味に惑わされてしまったところがありますね。
 ロンドン店のオペレーションの失敗に早々に気づいて修正することができたので、その後のニューヨークやパリのグローバル旗艦店では、迷うことなくわれわれの方法を通すことができたと思います。
 ロシア事業での店舗運営のマネージャー候補は、ハイレベルの経験者ではなく、日本の企業で働く意欲のある人で、柔軟な精神の持ち主ならば、新卒に近い若い人のほうがかえってありがたい、という判断でした。
 今回採用した現地の店舗・本部の主要メンバーは、研修のために三ヶ月ぐらい日本に滞在してもらうことにしました。ユニクロの商売、会社の仕組みを徹底的に叩き込んでもらいたいためです。
 幹部候補生ですから、研修期間中だから受け身でいいというのではなく、気づいたことはどんどんスタッフに指示を出してもらう。ユニクロの考え方や店舗のオペレーションを実践的に学んで、身に付けてもらうとても大事な三ヶ月です。
 日本での研修を終えれば、彼らも現地スタッフの採用と教育にかかわることができます。
 ただ、経理や物流については、ロシア独自のノウハウがやっぱり必要なんですね。こればかりはそれなりの能力と経験が物を言うので、管理系のポジションについては経験者を採用しています。

文化先進国、消費大国ロシア

 リーマンショック以降はモスクワも景気が悪く、就職は厳しい状況です。外資系は人気が高いので、ユニクロにも多くの応募が集まりました。知名度はまだまだ低いのですが、日本の企業ということで強い関心を惹いたのだと思います。日本への注目度は、そもそも高いんですよ。
 モスクワの人たちにとって、日本はたしかに遠い国です。しかし「あんなに小さな島国なのに、クルマも家電も優れたものをつくっている。大きな産業にもなって、メーカーの数も多い。アニメもおもしろい」--日本についてはそういう認識が持たれている感じがありますね。古い世代だと、武道とか生け花とか歌舞伎とか、日本の伝統文化への興味もある。ソ連の経済が行き詰まっていた頃には、ソ連の政治家ではなく日本の会社の社長に国を統治してもらったほうがうまくいくんじゃないか、なんて言われていたこともありましたし、概して日本への関心度は高い。
 今は経済的な側面から見てロシアは新興国のように言われるようですが、帝政ロシア時代から築いてきたものをふり返れば、文学、バレエ、音楽、建築、それぞれのジャンルで豊かな文化と伝統がある。文化先進国なんですね。だから日本に対する関心の高さも、彼らの文化的バックグラウンドから来るものもきっとあるはずです。
 ファッションに関しては、どちらかといえばアメリカ型よりもヨーロッパ型。外資系のブランドでは、スペインのZARAやスウェーデンのH&Mが進出してきています。ZARAはモスクワだけで二十店近くもある。モスクワの人は基本的に新しもの好きでもあります。
 もうひとつ、意外に聞こえるかもしれませんが、お金を使うのも大好きなんです。そもそもロシア人には可処分所得が多い。住宅はソ連時代にただ同然で与えられた家に住んでいる人が多いですし、光熱費も日本より断然安い。公共交通費も安いですから生活費の負担が少ないんです。
 着飾るのも大好きです。景気が悪くなる前は、高価なブランド品もよく売れていました。リーマンショック以降は、値段と品質を厳しく見て、慎重に選ぶ傾向が強くなっています。お値打ち感というか、#value for money" を意識するようになってきていると思います。
 モスクワは都市としてはヨーロッパ最大の人口で、統計値では一千百万人ですが、実際は一千二百万人から一千五百万人が住んでいるとも言われています。市場としては大変な可能性を秘めている。日本への関心と、彼らの目の高さを考えれば、ユニクロのロシアでの展開はかなり期待ができると確信しています。
 モスクワに大きな土台をつくることができれば、ウラル山脈より西のいわゆるヨーロッパロシアには百万都市がいくつもありますから、新たな展開が続くでしょう。たとえば、サンクトペテルブルグも実際の人口は五百万ほど。モスクワからスタートする意味はとても大きいんです。
 たった今、苦労しているのは役所関係の登録でしょうか。関税を払わずに露天で販売するようなアパレル製品の不正輸入が少なくなかったですし、輸入申告価格をごまかす手口も後を絶たなかったようで、チェックポイントの要求が高くて厳しいんですね。われわれにとっては不正輸入がなくなることは歓迎すべきことなんですが、他のヨーロッパ諸国よりもはるかに手間と時間がかかります。
 この山さえ越えれば、と念じながら毎日ひとつひとつクリアしてゆく日々です。オープンの日が待ち遠しいです。

ユニクロの海外の店舗は2010年2月末で125店舗となりました。そしてこの春、ロシアに初出店いたします。世界の有力なファッションブランドが集まるショッピングセンター「アトリウム」は、モスクワ中心部における商業施設として、集客力・知名度でトップクラスのショッピングセンターです。ユニクロは「アトリウム」に出店するこの店舗を通じて、ロシアのお客様に日本を代表するグローバルブランド「ユニクロ」を発信し、体感していただきたいと考えております。今後さらに加速していくユニクロの海外展開にご期待ください。

「考える人」2010年春号
(文/取材 : 新潮社編集部)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。