2010年11月01日
ユニクロソーシャルビジネスの舞台裏[前篇]~「考える人」2010年秋号~
~「考える人」2010年秋号(新潮社)より転載~
バングラデシュでソーシャルビジネスを開始
ファーストリテイリングCSR部長
新田 幸弘 (Nitta Yukihiro)
バングラデシュのグラミン銀行。
二〇〇六年に「底辺からの経済的および社会的発展の創造に対する努力」によって、創設者であるムハマド・ユヌス総裁とともに、ノーベル平和賞を受賞した同行の名前は、日本でも次第に注目され始めている。だが、バングラデシュという国がわれわれの意識の地図上ではまだ遠いこともあって、その活動が広く知られているとは言いがたい。
ところが先ごろ、株式会社ファーストリテイリング(以下、FR)はこのグラミン銀行と提携し、十月にバングラデシュで合弁会社を設立すると発表した。FRはすでに二〇〇八年からバングラデシュで生産事務所を開設しているが、今度は「現地向けに衣料品を企画・生産・販売する」ための合弁会社を設立し、ビジネスを通じて貧困や衛生、教育など社会的課題の解決に貢献する「ソーシャルビジネス(社会的事業)」を開始するという。
この事業のパートナーとなるグラミン銀行とはどんな銀行なのか。今回の計画の推進役であるCSR部長の新田幸弘氏にお話を伺った。
マイクロ・クレジットの革命的成功
「グラミン銀行のグラミンとは、ベンガル語で『農村の』という意味で、農村に暮らす貧しい人たちを対象にマイクロ・クレジットと呼ばれる無担保の少額融資を行って、彼らが自分の力で生活できる仕組みを作って支援している機関です。たとえば農村部の貧しい人がグラミン銀行から数万円程度のお金を借ります。彼らはそれで、ニワトリを放し飼いにして卵を売ったり、牛を飼って牛乳や肉を売るといった商いを始めます。つまり、貧困層が何らかの経済活動をする元手を用立てて、商売の仕組みを教え、彼らが出口のない貧困から抜け出す機会を提供しているわけです」
銀行創設のきっかけは、一九七四年、バングラデシュを襲った大飢饉だった。当時チッタゴン大学の経済学部長だったユヌス氏は、飢餓にあえぐ人たちが首都ダッカに洪水のように押し寄せてきて、やがて声も立てずに飢え死にしていくさまを目の当たりにする。「人々が目の前の歩道や玄関の前で飢え死にしているときに、エレガントな理論など、一体何の役に立つというのだろう?」。ユヌス氏はそれまでの学者生活に虚しさを感じ、貧しい人たちを苦境から救い出すための「本当に生きた経済学」を求めて、近隣の村へと足しげく通い始める。そこである時、氏は竹細工の製作、販売で生計を立てている女性グループと出会う。そして、彼女らがわずかの材料費を仲買人から借金しなくてはならないために、製品を安く買い叩かれ、結果として「家族で一日一度の食事を取ることもままならない」悲惨な暮らしを余儀なくされていることを知る。よく聞けば、村全体で借りている金額は僅か二十七ドル。ユヌス氏は即座にそれをポケット・マネーから出し、彼女たちに言った。
「これで借金を返して、作ったものを自由に、もっと高く売って利益を上げなさい」
これがマイクロ・クレジット事業のきっかけとなる。やがて発展したこの事業を八三年に組織化、政令による特殊銀行としてグラミン銀行が正式に設立された。
バングラデシュにおいて、マイクロ・クレジットが革命的な成功を収めていったのは、普通の銀行とまったく逆のことをしたからである。お金持ちではなく、貧しい人たちに融資する。男性ではなく、女性中心に貸す。都市部ではなく主に貧しい農村部に貸す。低金利で担保もいらない。貸し手と借り手の間に法的な契約書は交わさない。問題が起きた時の弁護士もいない。ユヌス氏によれば、紙切れに意味はなく、自分たちは信用(クレジット)を礎にして、人々との関係を築き上げている。「グラミンが成功するか失敗するかは、私たちと借り手の人間関係がどれくらい強いかにかかっているのだ」
そして、「人々が銀行に行くのではなく、銀行のほうが人々のもとに行く」という点。貧しい人や文字の読めない人々にとって、銀行のオフィスの敷居は高いばかりか、恐ろしくて近づけない先である。グラミン銀行はその壁を取り払い、銀行員が顧客の戸口に出向くようにした。
こうして強力で細かいネットワークを築き上げたグラミン銀行の支店数は、二〇一〇年七月現在二五六四店。貸付総額は約七千億円。債務者は約八百万人。うち九七%が女性である。
さて、FRとグラミン銀行との合弁事業のスケジュールだが、まずFRの一〇〇%子会社(UNIQLO Social Business Bangladesh Ltd.)を本年九月に立ち上げ、その会社とグラミン銀行の子会社(Grameen Healthcare Trust)との間に合弁会社「GRAMEEN UNIQLO Ltd.(仮称)」が設立された。出資比率は「UNIQLO Social Business Bangladesh Ltd.」が九九%、「Grameen Healthcare Trust」が一%で、資本金は十万ドル(約九百万円)相当とされている。同年十月の設立をめざし、役員はFRから四名、グラミンヘルスケアトラストからは一名のディレクターが選任される予定である。
バングラデシュの主力産業は繊維業、衣服の縫製であり、将来的にはそれを中心とした経済成長が見込まれ、「第二の中国」になり得る可能性を秘めた国、と指摘する声もある。だが一方で、貧困・衛生・教育など深刻な社会的課題が存在しており、国民一人当たりの国内総生産はおよそ五七四ドル。貧困ラインといわれる一日一・二五ドル以下で生活する人の割合が三六・三%にも達している。
そこでFRはこの事業を通じて、これまで培ってきたSPA(製造小売業)としてのノウハウを活かし、品質を保ちながらも貧困層にも手の届く価格で、衣料の企画・生産・販売を実施していく。これはFRの企業理念である「世界中のあらゆる人々に、良い服を着る喜び、幸せ、満足を提供します」という考え方にまさに基づいている。同時にもうひとつの企業理念「独自の企業活動を通じて人々の暮らしの充実に貢献し、社会との調和ある発展を目指します」の考え方にのっとり、衣料を普及させると同時に雇用を生み出し、現地の人たちの生活改善をサポートしていく考えだ。具体的には、まず初年度は二百五十名の雇用創出をめざし、三年後にはそれを千五百名にまで増やすことを目標としている。
バングラデシュへの期待と課題
FRグループはこれまでにも「瀬戸内オリーブ基金」や「スペシャルオリンピックス日本」の活動支援、障がい者雇用の促進、アジアやアフリカの国々の難民、避難民支援、全商品リサイクル活動の実施等々、多くのCSR(企業の社会的責任)活動に積極的に関わってきた。人々が生活する上で必要不可欠な衣料の企画・生産・販売を通して「世界を良い方向に変えていく」というのは、これまでFRがめざしてきたビジョンそのものである。それを今回はさらに大きく前進させる形で、本業のビジネスを通じてバングラデシュが抱える多くの社会的課題の解決に、継続的にコミットしていこうとしている。
ここまでの道のりはどのようなものであったのか、CSR部長の新田氏にふたたびお話を伺った。
「昨年の七月頃、立教大学とグラミン銀行が『立教グラミン・クリエイティブラボ』という共同研究の場を持っていて、そこの笠原清志先生とお話しした際に、実は八月にバングラデシュを訪問する計画がある、良かったら一緒に行きませんかと誘われました。そこで急遽、参りました」
「現地では、実際にグラミン銀行が農村でどのようなマイクロ・クレジットを行なって、貧しい人たちの生活改善の支援をしているのか、その現状を視察できるようなスケジュールも組み込んでもらいました。またユヌスセンターというソーシャルビジネスを統括している部署があるのですが、そこの方々とも意見交換をして、バングラデシュの抱える社会的課題のうち、たとえば貧困、衛生、教育、あるいは女性の地位向上といった問題について、われわれは本業であるビジネスを通じて解決を図ることができるはずだ、というようなお話をいたしました。ユヌスさんは『そういう提案は大歓迎である』とおっしゃってくださいました。その上で『規模は小さくてもいいから、まずソーシャルビジネスをスタートさせてみませんか』という言い方をされました。それを社内で報告した結果、社長から、ともかく一年以内をメドにこの事業を具体化しようという話がありました」
「最初に行なったのは、このプロジェクトへの参加を希望する社員の公募、それと市場調査です。公募は昨年末にアナウンスしました。市場調査のほうは今年の二月、三月といったあたりから、二~三ヶ月かけて行ないました。現地の人たちが購入している衣服の種類、価格、購入の頻度、潜在ニーズやデザインの嗜好、それから生産、販売ルートの調査などです。グラミン銀行、それから別の調査会社にも調査を依頼し、われわれも数回にわたって現地で対面調査などをしながら、ビジネスプランを検討しました。その結果、バングラデシュでソーシャルビジネスに取り組むことが正式に決まりました。理由としては、以前から生産拠点として取引しているパートナー企業が多く存在していて、品質的にもユニクロの求めるレベルに追いつこうというまじめな姿勢や意欲が感じられること。それから、もともとインドの後背地として素材が豊富にあるほか、人口の多さ、労賃、親日的な国民感情などの条件も揃っている。そして何より、販売に関してはグラミン銀行のネットワークを大いに活用できるのではないかという期待がありました。グラミン銀行の債務者八百万人のうち、九七%が女性です。バングラデシュでは貧困層が多く住んでいる地方の農村部に商品がなかなか届けられないという問題があります。そこへ入り込んでいくためには、グラミン・レディーと呼ばれる女性たちのネットワークを販売網として最大限に活用し、雇用を生み出すべきであろう、ということです」
キーワードは「持続性」
ソーシャルビジネスの特徴は、従来のビジネスが「利益の最大化をめざす」のに対して、個人的利益よりも社会的な目標の達成を追求する点だ。つまりこのビジネスの特徴は、安定した収益と地域の問題の解決とを、ともにめざすという点である。そして、収益は配当ではなく、事業発展のための再投資として使われる。
この場合、キーワードは「持続性」である。従来の寄付や慈善事業は、本業が不振になれば、それに費やす資金は削減されるか、中止せざるを得ない。また、政府開発援助、世界銀行などの援助は、しばしば公務員の腐敗や、運営効率の悪さが指摘され、プロジェクトのメリットがほとんど地元に浸透していかないケースも多い。その点、ソーシャルビジネスは徹底した市場主義に基づいてビジネスとしての可能性を追求しつつ、併せて地元社会への貢献を生み出し、なおかつその利潤を企業の一層の成長のために再投資していくという仕組みだ。
グラミンの呼びかけに応じた先行例としては、食品メーカーのダノン(フランス)があり、二〇〇六年、バングラデシュで安価なヨーグルトの販売を開始した。原料の牛乳や砂糖や糖蜜はすべて現地調達し、製造されたヨーグルトはグラミン・レディーの手で各家庭に配られる。現地経済の発展、雇用創出につなげるとともに「ヨーグルトによる健康改善」の社会貢献も果たしている。そのほか、スポーツ用品のアディダス(ドイツ)は安いシューズの開発を、水道会社のベオリア(フランス)は安全な飲料水供給事業に乗り出している。
ユヌス氏は、合弁会社設立の記者会見で次のように述べた。
「ユニクロが手がけている衣類のビジネスは、バングラデシュにとって必要不可欠なものです。衣類の安定した提供がもたらす健康面、衛生面などでのメリットは計り知れません。同時に、経済的にも現地の人たちの自立支援、自信回復をもたらします」
「日本は技術力と勤勉さで世界第二の経済大国になりました。これからはその力を社会的事業に向ける番だと思います。今回のバングラデシュにおける合弁事業のスタートは、日本企業として初の試みです。この挑戦は他の日本企業に対するアピールという意味でも、非常に強いメッセージ性を持っています」
最後に、「グラミン・ユニクロ」のビジネスサイクルの全体像を描くとどういうイメージになるのか、新田氏に総括してもらおう。
「企画については、当初いろいろな商品を作ってみたいという思いもありました。ユヌスさんも『この服はどうか、あの服はどうか』といったアイデアを次々とおっしゃいました(笑)。しかし繰り返し現地に足を運んだ結果、まずはバングラデシュの人々にとって必要な商品ということで、綿Tシャツ、スウェットパンツ、女性のブラジャー、サニタリーショーツなどをラインナップとして考えています。素材は現地の市場や取引先工場から生地を調達し、それを信頼できる取引先工場で生産します。販促活動はグラミン・ユニクロのネットワークを最大限に利用して、基本的には口コミやカタログ、チラシなどで展開するつもりです。それと並行させて、衛生的な生活に関する教育や啓蒙などをしながら、衣服の持つ保健衛生面でのメリットをきちんと伝えていきたいと考えています。販売方法としては、グラミン・レディーを販売員として職業訓練し、対面販売していくことを考えています。価格は貧困層でも購入できるレベルということで、いま模索中です。最後に利益についてですが、われわれはあくまでソーシャルビジネスをやるわけですから、利益は再びこの事業に投資して、現地完結のビジネスサイクルを確立したいと思っています」
ソーシャルビジネスとは、世界の所得ピラミッドにおいて貧困層と呼ばれる部分に位置する国々の社会的課題をビジネスを通じて解決していく新しい事業モデルです。貧困国では衣料が十分にないことが理由で感染症をはじめとする病気に冒される人たちがいます。私たちのソーシャルビジネスの原点は、FRグループの企業理念にある「世界中のあらゆる人々に、よい服を着る喜び、幸せ、満足を提供する」という考え方にあります。バングラデシュで、その第一歩を踏み出そうとしています。
「考える人」2010年秋号
(文/取材 : 新潮社編集部、撮影 : 見米康夫、上岡伸輔
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。