プレスリリース

2013年10月10日

ソーシャルビジネス4年目の挑戦~「考える人」2013年秋号~

~「考える人」2013年秋号(新潮社)より転載~
「グラミンユニクロ」初の2店舗がダッカ市内にオープン

ファーストリテイリング グループ執行役員
新田幸弘 (Nitta Yukihiro)

グラミンユニクロ最高執行責任者
山口忠洋 (Yamaguchi Tadahiro)

 衣服の企画、生産、販売というビジネスを通じて、バングラデシュが抱える貧困、教育、衛生、ジェンダーといった社会的課題の解決に貢献しようという、ユニクロのソーシャルビジネスがスタートして三年の時が経過した。二〇一〇年九月、UNIQLO Social Business Bangladesh Ltd.が誕生。翌年八月には、マイクロクレジット(無担保少額融資)で知られる現地グラミン銀行グループとの合弁会社GRAMEEN UNIQLO Ltd.が立ち上がる。こうしてユニクロ独自のSPA(ファッション商品の企画から生産、販売までの機能を垂直統合したビジネスモデル)としてのノウハウをバングラデシュに移植し、現地の人々が求める商品の提供や雇用の創出を通して、同国の経済や社会の発展、より豊かな生活作りに寄与しようという壮大な実験が始まった。
 そしてこの七月五日、首都ダッカ市内にグラミンユニクロ初のリアル店舗が二店オープン。農村部での訪問販売から始まったチャレンジは、また新たなステージを迎えることになった。
 バングラデシュでのソーシャルビジネスが、前途に多くの困難を抱えているであろうことは当初から織り込み済みだった。それだけにキーワードは「持続性」だと推進役の新田幸弘氏は語ったものだ。振り返ってこの間の道のりはどうであったのか。ソーシャルビジネスの理想と現実について、率直なところをお聞きした。

「いつでも」「どこでも」「誰でも」をめざして

「達成感が強いとまでは、残念ながら言えません。苦労の連続でしたし、課題もたくさん残っています。ただ、一方で可能性や機会が大きく開かれているということもよく分かりました。したがって、この事業を始めた時の哲学がぶれないように目標をしっかりと見定め、ビジネスを拡大していきたいと思っています。
 当初は農村部を中心に、グラミン銀行から融資を受けているグラミンレディと呼ばれる女性販売員による委託販売を想定していました。バングラデシュ国内で素材を調達し、現地の工場で生産し、貧困層向けに低価格で商品を販売するというビジネスモデルでした。そして売上げに応じてグラミンレディたちにコミッションを支払うことで、彼女たちが仕事の機会を得、それによって自立するのをサポートしていきたいと考えていました。しかしながら、うまくいった人とそうでない人とが、はっきり分かれました。成功したのは、非常に商才があったりセンスのいい人たちで、たとえば自分の家をお店のようにして人を効率的に集めたり、逆に人が集まりそうな所にうまく入り込んで商売をやった人たちです。我々は本来、普通の主婦が子育てや家事の合間を上手に利用しながら、一定の収入を得る状況が作り出せればと願っていました。達成感がない、というのはまだそれができていないからなのです。
 そこで、あるところで思い切って事業モデルの見直しを図りました。今回ダッカに二店舗を構えたというのも、まず都市部でしっかりグラミンユニクロのブランド認知を高めたいと考えたからです。現地のお客様の求めに応じた商品を提供し、リピーターの層を広げていく。サービスに満足していただく。新たな商品もどんどん開発して、都市部を起点にしながら、最終的にはバングラデシュ全土にわたって、『いつでも』『どこでも』『誰でも』グラミンユニクロの商品が買える状態を作り出したいと思っています」
 ソーシャルビジネスを立ち上げた当初は一ヵ月に一度は現地を訪れていたという新田氏。現在はグラミンユニクロ最高執行責任者である山口忠洋氏から週二回、テレビ会議を通して報告を受ける。その山口氏に現地の様子をさらに詳しく伺った。

ビジネスモデルを見直す

「こちらに赴任したのは二〇一一年十月の末だったのですが、当時はグラミンレディを中心に一ドルTシャツみたいな低価格の商品を委託販売している状況でした。しかし、農村部の購買力には限界があり、ビジネスを急拡大するのが難しいことは明らかでした。何より着るものより食べるものにお金を使わなければならないといった状況でしたし、田舎に行けば行くほど洋服よりも民族衣装であるルンギやサロワカミーズが一般的で、Tシャツなどのカジュアルアイテムは、あまりニーズがありませんでした。訪問販売をするグラミンレディの商品知識に多くを期待するのも難しかった。
 そこで、十二月の中頃から三人一組の四チーム体制で、車を使った移動販売を始めました。テーブルとかハンガーを車に積み込んで、二チームずつ一台に乗って、一ヵ所で三時間から四時間販売するというやり方です。一二〇〇万都市の首都ダッカを中心に、一ヵ月単位のスケジュールを組んでいろいろな場所を回りました。二〇一二年の春にはショールームのような小さなお店も開きました。商品構成も見直して、ポロシャツや襟付きシャツなどを加えたり、価格帯も一ドルにこだわらず二~四ドルの商品に拡げながら、自分たちの手で販売してみたのです。
 すると、十二月下旬になり急に寒くなったこともあって、DRYSMOOTHを使った商品がかなり大量に売れました。『意外にいけるじゃないか』と手ごたえを感じた最初の体験です。防寒目的の暖か機能も歓迎されましたが、肌触りのいいソフト&ストレッチ素材や、ポリエステルなどの化学繊維を用いた製品にもいい反響がありました。綿文化の国なので目新しかったこともありますが、日本のファッション・ブランドとして好意的に迎えられました。地元の協力工場や、本社からのいろいろなサポートを得て、七月に二店舗を構えるという方向に、自然と流れが進んでいきました」
 この二つの店舗の立地は対照的だ。一店はアパレル関係のショップが集まっている商業エリアへの進出。もうひとつは新興住宅地の商店街に出店した。二階にあって間口が狭いという明らかなハンディがあるにもかかわらず、売上げは圧倒的に前者が上まわっているという。こうした結果もやってみないことには分からない。すべてが試行錯誤である。一方、サービス面でのユニクロらしさはどのように〝現地化〟しているのだろうか―。
「ひとつは笑顔ですね。こちらの人は基本的に笑顔で接客することはありません。それとお客様へのお声がけ。常に活気をもって声を出すという習慣もないので、この点も常に注意しています。どちらも好評です」
 バングラデシュに来てほぼ二年。「順調なことは何ひとつなかった」、「正直、死ぬほど大変ですよ」と自嘲気味に語る山口さんだが、言葉とは裏腹に表情は生き生きとしている。
「個性だと思うのですが、事業の立ち上げが割と好きなんですね。あと一緒にやっているローカルメンバーがいい連中なんです。彼らの成長を見ているのがとても嬉しい。なので、早く本格的に軌道に乗せたいと思います。ソーシャルビジネスというのは、利潤を上げること自体が目的ではなくて、安定した収益と現地の社会的課題の解決をともにめざすということが重要です。収益は事業発展のための再投資になるわけですから、早くこのサイクルを確立しなければと思います」

CSRからCSVの時代へ

 新田氏は、けさもテレビ会議で「現地には三つの注文をしたばかりだ」と語る。ひとつは、グラミンユニクロの商品を「いつでも」「どこでも」「誰でも」買えるようにしてほしい、という達成目標の確認だ。季節要因に左右されるのでなく、年間を通じて「いつでも」コンスタントに売れるようにすること、そしてブランド認知を高め、販売網をさらに広げて「どこでも」の状態を実現し、バングラデシュでも日本のように、所得と関係なく「誰でも」着たいと思うようなブランドに育ててほしい―。
 さらには、ソーシャルビジネスを成功させるためにも「是非儲けてほしい」と強調し、三つ目のリクエストとしては、「人を育ててほしい」と伝えたという。つまり、現地スタッフをできるだけ多く雇用するのは当然として、さらに、彼らの自立や成長を積極的に促し、優秀な人にはバングラデシュ国内はもとより、将来国外でも、いや我々グループのリーダーとしても活躍してほしいのだ、と。
「最近、CSR(企業の社会的責任)をさらに進化させた考え方として、CSV(Creating Shared Value 共通価値の創造)という表現がよく使われますが、我々のCSR活動も寄付や募金活動、衣料品の物的支援といった慈善行為が最終ゴールではありません。企業が自らの経営資源を使って地域の社会的問題の解決に関わっていくことがこれからは経営戦略上の必須事項であり、またチャンスでもあると言われています。その意味でもバングラデシュでのソーシャルビジネスはとても重要な試金石だと思っています」

バングラデシュは、ユニクロにとって中国に次ぐ重要な生産拠点の一つであると同時に貧困、保健衛生、教育、ジェンダーなどの社会的課題が数多く存在している国だ。良質な衣服がもたらす健康面、衛生面、精神面でのメリットも計り知れないが、グラミンユニクロの経済面での貢献は、現地の人々の自立や自尊心育成などの下支えとなる。ソーシャルビジネスの挑戦は非常に重要な意味がある。

「考える人」2013年秋号
(文、取材・編集部/ 撮影・菅野健児(ポートレート)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。