2014年01月27日
“Clothes for Smiles”プロジェクトの始動[前編]~「考える人」2014年冬号~
~「考える人」2014年冬号(新潮社)より転載~
セルビアの子どもたちに「お買い物体験」を
特定非営利活動法人ACC・希望代表
松永知恵子 (Matsunaga Chieko)
ACC・希望セルビア担当スタッフ
高橋真人 (Takahashi Mahito)
「未来を担う世界中の子どもたちに笑顔を届けたい」。
世界トッププロテニスプレイヤーであり、ユニクロのグローバルブランドアンバサダーでもあるノバク・ジョコビッチ選手とユニクロが、“Clothes for Smiles”のプロジェクトを立ち上げたのは、二〇一二年十月十六日のことだ。この年の秋冬のヒートテックとウルトラライトダウンの売上を原資として十億円規模のファンドを設立し、二つの活動に五億円ずつを充てようという計画である。
一つは、ファーストリテイリングがユニセフ(国際連合児童基金)とグローバルアライアンスを結び、子どもたちの教育環境の改善プログラムを支援していくという活動。
もう一つは、世界中の人々から子どもたちの未来を拓くアイデアをインターネット上で募集し、コンペで選ばれたアイデアを実行するというものである。
募集は発表当日からさっそく開始され、締切の十二月末日までに、四十六ヵ国から七百三十九件ものアイデアが寄せられた。それをまず事務局が選考した上で、審査員であるジョコビッチ選手、安藤忠雄氏(建築家)、ムハマド・ユヌス氏(ノーベル平和賞受賞者)、川井郁子氏(ヴァイオリニスト)、そして柳井正社長による最終選考を行い、八件のアイデアのプロジェクト化が決定した。そして、すでに五つのプロジェクトが始動しているが、その中には、ジョコビッチ選手の母国セルビアから寄せられた「お買い物体験プロジェクト」も含まれている。
民族対立、国家の分裂
話は少しさかのぼる。かつてチトー大統領が率いた多民族国家ユーゴスラビアには、有名な数え歌があった。「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、そして一つの国家」。ところがチトーの死後、一九九〇年代に入ると、民族対立の激化、経済格差の顕在化などによって、このユニークなモザイク国家に内戦が勃発。やがて国はセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニアの七ヵ国に分裂する。またその過程で、コソボ紛争(一九九六年~一九九九年)が引き起こされると、セルビア政府は国際的な非難の的となり、首都ベオグラードはNATO軍による七十八日間の空爆にさらされる。
その結果、セルビア国内にはいまだに戦争の深い傷跡が残され、約六万六千人におよぶ難民、約二十二万八千人のコソボからの国内避難民が、難民センターなどに居住している。
時間を経て表面化する心の傷
そうした中で、今回、セルビアからのアイデアが選ばれた。実施にあたって、ユニクロが現地のパートナーとして協力を求めたのは、日本のNPO法人ACC(Actions for Children and Communities)・希望である。難民支援の中でも「心理社会支援」という「心のケア」に特化した活動に取り組んできたACC代表の松永知恵子さんに、お話を伺った。
「近年の国際支援の中でも、ユーゴではとりわけ心の傷(トラウマ)がクローズアップされました。紛争は終結しましたが、いまだに故郷を離れて閉塞的な生活を余儀なくされている多くの難民、国内避難民が存在しています。痛ましい戦争トラウマに加えて、社会が停滞していることの苦しみ、将来に対する希望を見出せないことのストレスが、人々を精神的に追い詰めています。
私たちは、心に深い傷を負った人たちの話を聞くうちに、心の傷が表面化するためには、あるいはそれが本当に癒されていくためには長期的なケアが必要であることに気づいていました。しかしながら、人道支援は紛争地の状況が落ち着くと、より緊急性を要する地域に移っていきがちです。また、心理社会ケアはさまざまな専門性を集結して取り組む必要があります。そこで、私たちはご縁の深まったセルビア一ヵ所に活動の拠点を絞り、ここに長くとどまって心理的不適応状態にある人々の問題解決に取り組むことにしました。とりわけ子どもたちが本来の、未来を描く力を取り戻すことこそがもっとも重要な支援だと思ってきました。
子どもたちは『将来何になりたい』というロールモデルを持っていません。見かけの上ではアジアやアフリカのような絶対的貧困にあえぐ悲惨さはありませんが、どんなに外見上は普通のヨーロッパの子どもたちと同じように見えても、また教育水準が高い子どもたちであったとしても、精神的には癒しがたい傷を負っています。加えて、かつてはユーゴ国内の政治の中心であった自分たちの国が世界の流れから取り残されていること、毎日の暮らしが難民センターと学校との往復くらいで、どこにも希望の窓を見出せないことは、彼らの心に重くのしかかっているのです」
人間を見据えた支援を
それでは、「心理社会支援」というのは、具体的にはどういう活動を指すのだろうか。
「ACCの場合、ひと言でいえば、心理ワークショップといわれる活動です。通常、『心のケア』と言われているのは、カウンセラーやセラピストといった『治療者』が、セラピーによって治療行為として『患者』の苦しみと対峙するという図式が主流です。しかしそれでは、その場限りで完結してしまいます。日本と違って、面接室の中で多少心が軽くなったとしても、外へ出れば社会は何も変わっていません。停滞した現実のままなのです。
私たちの心理ワークショップというのは、ファシリテーターが何人かいて、子どもたちを集めて(お年寄りの場合もありますが)、さあ、きょうは何をしましょうみたいな感じで、ある種の『遊戯療法』をやるのです。いろいろ自分の気持ちを表現したり、一つの作品を作ったり、体の動きでその時々の感情を表現したり、楽しみながらやっていきます。
これは心理学的には『投影法』といって、直接その苦しみなどに向き合うのではなく、自己表現という回路を使って、自分の中に蓄積されていたものを少しずつ外部に投影させながら、自己治癒をめざすというのが大きな目的です。ですから想像力と創造力のふたつの『そうぞう』を通して、自己治癒をめざします。あとはそれを集団で行うことによって、社会ユニットを体験します。人間関係を築くというこのプロセスが大切です。故郷を奪われ、それまでの人間関係を突然断たれてしまった難民、特に子どもたちにとって、未来に向けての人間関係の再構築は大きな目的です。
私が強く思うことは、どんなにお金や物資をもたらそうとも、中心に人間を見据えた支援であってこそ、それが活きるということ。人間が立ち上がらない限り、社会は動き出さないということです」
ジョコビッチ選手からの言葉
今回の「お買い物体験プロジェクト」の概要は、次の通りだ。
〈セルビアの難民センターで暮らす子どもたちのために、ユニクロの店舗を模した空間で仮想通貨を用いて買い物体験をする機会を提供します。子どもたちはそれぞれの好みで購入した服を身に付け、家族の前でダンスなどのパフォーマンスを行い、思い思いに自己表現します。難民センターの子どもたちは、貧困や就職難から非常に閉塞的な環境で暮らしており、社会参加の機会も限られていますが、衣服を買うという体験を通じ、子どもたちに「なりたい自分になれる」というワクワクする経験を提供していくことで、力強く生きていくための自信をつけてもらうことを目的としています〉
ユニクロのアイデア募集を聞いた瞬間に、「三秒くらいで閃いた」と話すACCの高橋真人さんにお話を伺った。
「日本の子どもは自分の服を当り前に買いに行って、好きなものを選んで買うことができますが、難民センターの子どもたちはそうした経験からほぼ完全に疎外されています。着ているものは古着が基本。それがずっと頭にありました。だからユニクロの企画だと聞いて、それなら服だ! 子どもたちが服を買うイベントをやったら、新たな成長の第一歩につながる、と直感しました。そして買い物体験の心理社会的効果を高めるため、何か感じたことをパフォーマンスで表現することを組み込みました」
今回のこのイベントには、セルビアのスーパースターであり、“Clothes for Smiles”の生みの親でもあるジョコビッチ選手からもビデオメッセージが送られた。
〈シンプルだけど、ぼくにとって大切なことをみんなに教えよう。服は自信を深める手助けをしてくれる。ぼくはそう信じている。試合の時に着るユニフォームは、ぼくにとってすごく重要なものだ。もし身につけているものが心地よくなかったら、それはパフォーマンスや試合結果に影響してしまう。反対に、気に入った着心地のいい服を身につけると、身体中がエネルギーと幸せな気持ちでいっぱいになる。
だから、今日という日をとことん楽しんでほしい。一日が終わるころには、何か面白くて新しい、そして人生を豊かにしてくれるものを学んでいるといいね。どうか、今日という日を楽しんでください〉(後編につづく)
〝Clothes for Smiles〟で選ばれた8つのプロジェクトのうち、セルビアでの買い物体験の他に、次の4つのプロジェクトが始動しています。図書館(カンボジア)、ワクワークセンター(フィリピン)、女子サッカー(バングラデシュ、ガーナ、ジンバブエ)、e-Education(フィリピン)。「世界中のあらゆる人々の生活や社会を、ユニクロの服でよい方向に変えていくこと」。その実現に向けて、ユニクロは世の中に貢献する、革新的な活動を続けています。
「考える人」2014年冬号
(文、取材・編集部/ 撮影・菅野健児)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。