2015年01月16日
BACKSTAGE REPORT 豊島でオリーブの収穫祭~「考える人」2015年冬号~
~「考える人」2015年冬号(新潮社)より転載~
オリーブは正直だ
手をかければ応えてくれる
香川県の豊島に九十万トンを超える有害産業廃棄物が不法投棄された、いわゆる「豊島事件」──。かつて白砂青松の景観を誇った瀬戸内海の美しい島を巻き込んだこの事件が、二十五年に及ぶ激しい戦いの末、ようやく香川県との公害調停の最終合意に漕ぎつけたのは二〇〇〇年六月のことだった。二〇一五年は、それからちょうど十五年の節目を迎える。
大量に残された産業廃棄物や汚染土壌を島から運び出し、隣の直島の処理施設で無害化する作業は、約八割の処理が終わったところだ。当初想定されていた二〇一三年三月までの撤去完了から大幅に遅れ、現在、最新の試算に基づき「二〇一七年三月までの完全撤去」に向けて、まさに大詰めのスパートにかかろうという正念場だ。
一方、事件をきっかけに瀬戸内の美しい自然を取り戻そうという願いをこめ、建築家の安藤忠雄氏と産廃闘争を指揮した弁護士の故・中坊公平氏が呼びかけ人となり、二〇〇〇年十一月に創設されたのが「瀬戸内オリーブ基金」である。寄付で集めた資金をもとに、豊島をはじめとする瀬戸内海エリアに豊かな緑を蘇らせようという活動だ。その趣旨に賛同したユニクロは、翌年四月から全国の店頭で募金を開始。お客様からお預かりした募金で基金のさまざまな活動を支援してきた。また、社員のボランティア活動として、全国の店舗からこれまでに延べ約千名が現地での植樹や環境整備活動に携わってきた。
「豊かな島」の復活へ
二〇一四年は瀬戸内海が日本初の国立公園に指定されて八十年という記念すべき年にあたった。瀬戸内オリーブ基金では、地元住民らと協力し、この一帯を「国立公園に指定された当時」のありのままの姿に戻し、次世代に豊かなふるさとを残していこうという「豊島・ゆたかなふるさとプロジェクト」を開始。その一環として、島の再生と希望のシンボルとして植樹されたオリーブの収穫祭を、初めてユニクロとの協力で実施した。十一月二、九、十六日の三回に分けて行われた収穫祭は、「ゴミの島」という「負の遺産」を克服して、文字通り島名のように「豊かな島」への復興に向けた新たな一歩となるはずである。
初日の十一月二日午前九時三十分、ユニクロの店頭や新聞で公募した香川県と岡山県からの一般参加者と、基金の関係者、ユニクロ社員がオリーブ園の前の「柚の浜」に集合した。前日までの雨は上がったものの、曇り空。オリエンテーションを受け、正しい実の摘み方を教わった後、長靴に履き替え、瀬戸内オリーブ基金マークの入った軍手をはめて、いざ収穫に取りかかる。総面積は約九百平方メートルの畑というが、手分けして一斉に作業を始めると、この日の担当区域は三十分ほどで収穫を完了。黒く熟したオリーブの実が三十一・二五キロ集まった。前年を大きく上回る豊作である。
さっそくこれを搾油機にかけ、全重量の約一割採取されるという、搾りたて豊島産オリーブオイルの青々しいフレッシュな香りとテイスティングを楽しんだ。昼食はこのオイルを使った鉄板焼きに舌鼓を打ち、午後は産廃現場を見学し、島内をぐるりと一周するスケジュールで締め括った。
さて、このオリーブ園だが、基金の呼びかけ人である安藤氏や中坊氏らが最初に植樹した記念碑的な場所であったにもかかわらず、ある時期から管理育成に十分な労力を割くことができなくなった。海岸線との間の砂地にも雑木が生い茂って荒れ放題の状態となっていた。これではいけないと、二〇一三年から島民やボランティアが懸命に整備して、オリーブ園は見違えるような勢いを取り戻す。
「もう前の姿は忘れてしもうたがな」と地元の山本茂さんは明るく笑う。産廃闘争の旗手であり、古くからの友人でもある安岐正三さん(廃棄物対策豊島住民会議事務局長)から声をかけられて、山本さんと安岐満さんの二人が、この浜に招集されたのは二月のことだった。荒れ果てたこの一帯を整備して、オリーブ園に風が入るようにしよう、水はけを良くしよう、堆肥をまいて土壌を改良しようという呼びかけだった。ところがその日は、雪の降る悪天候。「真っ暗になって、雪がばーっと降ってきた。寒いから、もういぬ(帰る)言うた」と山本さん。どこから手をつけたらいいのか途方に暮れるような状態。うまく行くという見通しもない。しかし、「たとえ先が見えなくても、正しいと思う方向に向かってなぜ一ミリでも前に進まないか、と中坊さんは繰り返し私たちを叱咤した」と安岐正三さん。
オリーブ栽培の指導を仰ぎに、小豆島の農業試験場へも通うことにした。講習会へ行くのと並行して、向こうからも実地指導に人が通って来てくれた。鬱蒼と茂って、海からの風をさえぎっていた雑木を伐採すると、日当たりが良くなり、風が通り始めた。水捌けを良くするために灌漑を行い、堆肥をまく。すると、五月末から六月にかけて白い花が見事に咲いた。
いいことは地道にこつこつと
「オリーブは正直もの。人間と違ってウソをつかない。こちらがええようにしてやったら、ええように応える。真面目なもんじゃ」、「いままではオリーブをかわいそうな目にあわせとった。それを丁寧に手入れすると、一年ですっかり蘇った」と山本さん。樹勢を取り戻し、見違えるようになった姿に農業試験場の人たちも声をあげた。喜びを分かち合ってくれた。すると、ますます力が入ってきた。「あほでも賢うなってきよるゆうたら、力入るもん」と山本さん。
今年の収穫量はこれまでの約十倍に達する勢いだとか。小豆島のように、安定した質と量を毎年維持していくためには、まだまだ道のりは遠いというが、ひとまずここまで漕ぎ着けたのは大きな前進に違いない。
瀬戸内オリーブ基金の呼びかけ人、安藤忠雄氏はこう語る。「公害調停は成立したけれども、将来に向かって島をどうするのか、という発展的な計画がまだできていない時期でした。産廃を撤去した跡地をオリーブの森にしたらどうかと最初に言い出したのは中坊さんでした。ちょうど一九九五年の阪神・淡路大震災の後に、復興活動の一環として『ひょうごグリーンネットワーク』という植樹活動を進めていました。復興住宅一軒につき二本ずつという計算で二十五万本の木を植えましょうという運動です。シンボルツリーとして白い花の咲く木を植えようと考えました。コブシとハクモクレンとハナミズキの三種類が中心です。つまり白い花は亡くなった方々への鎮魂の思いと、春には一斉に開花しますので、その時に震災のことを思い出し、次の世代に記憶をつないでいこうという趣旨でした。二〇〇〇年の七月、その時点で二十八万本の植樹を達成したという記念講演会で、たまたま以前から知り合いだった中坊さんとご一緒したんです。その時に豊島の話が出てきました。中坊さんは『豊島を昔のような緑溢れる島に戻したい』とおっしゃいました。その深い思いに感銘を受け、すぐに緑化活動基金をつくることになりました。
豊島だけではなくて、瀬戸内海全域を対象にしてはどうか。豊島の産業廃棄物不法投棄の現場だけでなく、直島のように工場の排煙などではげ山になった場所、古くは秀吉の時代から石や砂が大量に運び出された跡地、そういったところに緑を植えて、自然を回復しようという活動です。それでしばらくして、ユニクロの柳井社長に話したところ、二つ返事で『やりましょう』と言って、すぐに店頭に募金箱を置いて下さいました。社員ボランティアの人たちが植樹や環境整備の手伝いにその後も継続的に来ていただいています。柳井さんはとても熱心で、オリーブ基金のお金がきっちり使われているかと、いつも気にされていました。お客様から集めた大切な寄付金ですから、それに対する責任感と、意志の強さの表れだと思います。いいことは地道にこつこつやっていきましょう、というのは柳井さんのビジネス哲学と共通しています。いきなり瀬戸内海が全部緑になるわけではありませんが、オリーブ基金だけでもう十五万本の木を植えたことになります。結構な数ですよ」
収穫祭というより感謝祭
基金のもう一人の呼びかけ人である中坊さんは、二〇一三年五月三日に亡くなった。厳しい産廃闘争を最後までともに歩んだ安岐正三さんは語ってくれた。
「亡くなる前年の暮に京都のお住まいに呼ばれました。すると、『俺は最後にきれいになった豊島が見られない』と言って泣かれました。涙をボロボロこぼされました。『ええか、お前。見届けてから俺のところへ来い。最後にきれいになったところを見届けてから、俺のところに来て報告せい。ええな。それまで来るな。わかったな』と言われました。
中坊さんは豊島にとって最大の恩人であり、彼なくして事件は解決しませんでした。全国の人たちからも温かい支援をいただきました。これは豊島だけの事件ではありません。日本だけの事件でもありません。現代に生きる人類共通の問題ではないかと私は思います。そういう意味で自分たちは高い代償を払ったけれども、二度とこういう事件を起こさないようにこの教訓をきちんと後世に伝えていかなくてはなりません。そして、子どもたち、孫たちの世代にツケを回さない、持続可能な社会をつくらなければなりません」
オリーブの木は「怨念に別れを告げて、希望の光のもとに歩め」と言って、中坊さんが「希望のシンボル」としてここに植えたのだ、と。
収穫祭に訪れた参加者は「豊島の歴史については以前なんとなく聞いたことがあったけれども、すっかり忘れていました。とても勉強になりました」、「オリーブの実を摘むのは初体験だったけど、楽しかった。島がオリーブでいっぱいになると素敵ですね」と口々に語りながら帰路についた。
それを聞きながら安岐さんは「収穫祭いうけど、ほんとは感謝祭よ。いろんな意味で支援してくれた人たちに感謝しながら、オリーブの収穫を祝うということだな」と笑顔を向けた。
豊島など瀬戸内海の島々や沿岸部にかつての豊かな自然を再生することを目的にスタートした瀬戸内オリーブ基金の活動趣旨に賛同し、ユニクロは2001年から店舗での募金活動を行ってきました。2011年にはジーユーでも募金を開始。豊かなふるさとを次世代に引き継ぐための活動を支援しています。募金へのご協力をお願いします。
「考える人」2015年冬号
(文、取材・編集部/ 撮影・菅野健児)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。