2015年07月09日
BACKSTAGE REPORT - スペシャルオリンピックスを支える
~「考える人」2015年夏号(新潮社)より転載~
オンリーワンの努力と勇気を讃えよう
パラリンピックは見知っていても、スペシャルオリンピックス(以下、SO)となると、大抵の人は途端に印象がぼやけてしまう。パラリンピックが身体障がい者を中心にしたオリンピック形式の競技会だとすると、SOは知的障がい者を対象にしている。とはいえ、この二つ、実は基本理念も運営方法もまったく性格を異にする活動なのだ。前者がナンバーワンをめざす大会であるのに対して、後者はオンリーワンであることの価値をも重視する。
「障がい者はできないのではない。社会が彼らをできないと思って、できなくさせているのだ」と、SOの創設者ユニス・ケネディ・シュライバー女史が述べているように、この活動は知的障がい者のスポーツ支援を通じて、彼らの自立と社会参加を促し、誰に対しても開かれた優しい社会を作り出そうという挑戦だ。力点は競技の記録や順位とともに、障がい者が日々スポーツトレーニングに取り組むプロセスを重視し、彼らの継続的な努力や勇気を讃えるところに置かれている。それが、いまや世界百七十ヵ国以上で、四百四十万人のアスリートと百万人のボランティアが参加する国際的なムーブメントに発展を遂げている。
今年はそのSO夏季世界大会が七月二十五日から八月二日まで、米国ロサンゼルスで開催される。二〇〇二年から「スペシャルオリンピックス日本(SON)」のオフィシャルパートナーとして、ボランティアスタッフ用のユニフォームなどの提供や、競技会の運営支援を積極的に行ってきたユニクロは、今大会の開催に当たり、約五千四百万円の資金援助のほか、米国に働くファーストリテイリング従業員のボランティア参加、日本選手団へのユニフォームの提供(日本以外にも台湾、フィリピン、シンガポール、韓国、マレーシア、タイの選手団への寄贈)を決めている。
選ばれなかった人の分まで
晴れの大会を前にして、ゴールデンウィーク中の五月三日から五日まで、参加選手はじめコーチや役員、総勢百十八名が、代々木のオリンピック記念青少年総合センターで合宿を行った。SOは性別、年齢、競技能力によるグループ分け(ディビジョニング)が行われ、誰もが平等に競い合うチャンスが与えられる。またアスリート全員が表彰台に立ち、順位だけでなく、競技にチャレンジしたことに対してメダルやリボンで祝福されることも特徴だ。彼らのひたむきな姿勢を周囲の人たちが懸命に支え、ともに大会を盛り上げていくところが醍醐味である。
今回の日本チームの新たな取り組みのひとつは、知的障がいのあるアスリートと、知的障がいのない同程度の競技能力のパートナーがチームを組む、ユニファイドスポーツに初参加することだ。そのバスケットボールチームの合宿二日目の様子を取材した。
この日は六時半起床。朝食を選手団全員ですませた後、チームは北千住にある帝京科学大学の体育館に向かった。十時から夕方の四時までの強化練習だ。予想以上に激しく、本格的に動きまわるチームの中でもひときわ長身、落ち着いたボールさばきを見せるプレーヤーに土井隆平さん(二十六歳)がいた。中学二年生の時以来、SO活動歴は十二年。普段は工場勤務(業務用チョコレートの製品包装作業)のかたわら、月に二回、日曜日の練習会に参加している。自主トレは毎朝のランニング。家の中ではボールに触ってシュートのイメージトレーニングに励む。二〇一四年SON夏季ナショナルゲーム・福岡ではSON・千葉チームのメンバーとして優勝を遂げるなど、成長株の筆頭である。この日は足首を痛めているにもかかわらず、スピーディな動きで大会に向けての充実ぶりをアピールした。
「個人競技ではなく、バスケットボールはチームで協力してやるところが楽しい。攻撃も防御もある。自分はもっと周りを見て状況判断しなければいけない。試合になるとすごく緊張するタイプなので、がちがちになってシュートミスすることも多かった。もっとリラックスした状態で試合に臨めるように、いま努力中です。日本選手団に入っただけで満足してはいけない。選ばれなかった人の分も頑張ろうと思っています」
目標は錦織選手
ユニファイドチームにパートナーとして参加する本間綾乃さん(二十四歳)。千葉県立東金特別支援学校で高等部一年生を受け持つ教師である。SO活動歴は十年。ずっとバスケットボールの部活を続けていたが、中学三年生の時、三つ下の弟がSOでバスケを始めたのをきっかけに、自分もそのチームに参加してみた。
「障がいの有無といった垣根は、もう全然感じなくなっています。普段はコーチという立場でSOに関わっていますが、ここでは選手として同じ立場。こうしたほうがいいんじゃない、と指摘されるのが刺激になります。土井選手とは同じ千葉なので長い間プレーを見てきましたが、このユニファイドチームに入って、また成長したみたい。周りを意識しながらプレーできる選手になっていて、それがとても嬉しいです」
夜は代々木の宿舎に戻った選手一同が、夕食後に全体ミーティングを行った。選手団のミッション(使命)やビジョン(目標)などが語られ、ロサンゼルスでは日頃培った力を十分に発揮して、晴れ晴れとした表情で表彰台に立つこと、そして閉会式では選手団が一つになって、会場の人たちに大きく手を振り、笑顔で新たな一歩を踏み出そう、といった意思確認が行われた。
力強く、大きな目標を語ってくれた選手もいた。「ロサンゼルスには家族も応援に来るので、シングルス、ダブルス、ミックスダブルスに出場して全部で金メダルをめざします」――テニスの住田憲彦さん(二十八歳)。SO活動歴は九年、そのうち七年はニューヨークだったという異色のキャリアだ。当時はノリの愛称で呼ばれていた。二〇一四年の福岡大会では金メダルを獲得。「攻撃的なテニスで、ネットプレーが好き。短い球が来た時に、前に出て強打して決めるのが面白い。ユーチューブで錦織圭選手やジョコビッチ選手の映像を見てイメージトレーニングしています。錦織選手が好きなので、ショットする時、僕も跳びます」
住まいは兵庫県西宮市だが、日頃は大阪府交野市でパンを焼いて届ける仕事に携わっている。「久々にアメリカに戻れるのが嬉しい」と語る住田選手の脳裏には、大舞台で爽快なショットを決め、会心の笑みを浮かべた自分がイメージできているようだった。
神様からの贈り物
障がい者の社会参加という認識は徐々に広まっているものの、まだ福祉の問題は行政にお任せ、というのが一般社会の通念だ。障がい者は「かわいそう」で「運に恵まれない」人たち。だから、国や自治体で「守ってあげる」「支えてあげる」という発想からなかなか抜け出せない。マイナスの固定観念や差別的態度が減ったとはいえ、本当の意味での障がい者の自立、社会参加を実現するには、社会全体の意識変革が必要だ。障がい者の潜在的な能力を引き出し、彼らの可能性を育て、ともに幸せを分かち合う世の中に変えるにはどうしたらいいか。そんな思いを募らせていた矢先にSOの存在を知り、以来二十年余り、自ら率先してSOの普及、実践に取り組んできたのが細川佳代子さんだ。
一九九四年に「スペシャルオリンピックス日本(SON)」を設立、現在の「公益財団法人スペシャルオリンピックス日本」まで組織の発展の道のりを、文字通り全身全霊で牽引してきた(現在は名誉会長。理事長は有森裕子氏)。九一年にSOの活動を知るや、すぐさま行動を起し、九三年に二名の選手を特別枠で冬季世界大会に派遣した。そこから徐々に活動を拡大し、二〇〇五年には冬季世界大会を長野で開催。現在は国内七千七百九十人のアスリートが参加し、四十七都道府県の地区組織で活動が展開されるようになった(数字は二〇一四年末時点)。「寝ても覚めてもSOでした」と語る細川さんに、改めてSOの魅力や意義、今回のロサンゼルス大会に寄せる思いなどを聞いた。
「残念ながら、今回の世界大会に私は行けません。しかし、本場アメリカの大会は格別なものになるはずです。SO自体が社会に浸透していて、見ている人もボランティアも、みんなが心から楽しんで大会を盛り上げてくれるのです。
いまから二十数年前、私の人生はある牧師さんの言葉で変わりました。『どんなに医学が進歩しても、人間が生まれ続ける限り人口の二%前後、知的障がいの子が生まれてくる。それは、人間にとって一番大切な心――優しさ、思いやりを周囲の人たちに教えるために、神様が与えて下さった贈り物である』と。その言葉を聞いて、私は障がい者にただ同情し、養護するというのではなく、彼らが本来的に持っている能力や可能性を支援して、彼らの自立、そしてともに幸せを分かちあえる社会の実現に向けてベストを尽くそう、と心に誓ったのです。
とはいえ、ここまでの道のりは困難でした。いろいろな方にお会いし、ご説明申し上げても、なかなか具体的に行動に移して下さる方はいらっしゃらない。それでもあきらめないで続けていたところ、ある時ユニクロの柳井社長を紹介され、初めてお目にかかりました。お忙しい方なので、どれくらい話を聞いて下さるかと思っていました。すると、十分か十五分話しただけで、柳井さんが『細川さん、この活動は素晴らしいですね』と言って下さった。『年に一回だけのイベントでなく、年間を通してずっと日常的にボランティアが活動する。そこが素晴らしい』と言って下さった。そんな人にお会いしたことがなかった。いま話していても、また涙ぐんでしまうほど、それくらい経験したことのない感激でした。
今回、柳井社長は開会式に出席なさると聞いています。お時間さえあれば、大会をゆっくりご覧になっていただきたい。というのも、SOには予想もつかない感動のハプニングがあるからです。それがSOならではの魅力だからです。普通のオリンピックのように粛々と行われて、素晴らしいパフォーマンスを見て終わり、というのとはまるで違う。もう予期しないことがあちらでもこちらでも起きて、それを解決しようとみんなが必死で走り回る。一人一人の参加者に少しでも楽しい思い出を持ち帰ってもらおうと、主催者もボランティアもみんなが懸命に努力する。これは行ってみてその場で体験しないと分からない醍醐味です。それが一生の思い出になるような、本当に凄い大会なのです。ご家族や応援に行った方々、ボランティアに参加した人たちは、それを必ずや体感するはずです。想像するだけで、胸が熱くなってきます」
七月二十五日、ロサンゼルスの空の下、揃いのユニフォームを身に着けた日本のアスリートたちが開会式に臨む。オンリーワンたちの祭典が始まる。
ユニクロは2002年からスペシャルオリンピックス日本のオフィシャルパートナーとして、おもに選手とボランティアスタッフ用のユニフォームの寄贈や競技会の運営支援などを行ってきました。SO夏季世界大会・ロサンゼルスではユニフォームの提供に加え、今大会開催に当たり約5400万円の資金援助も行い、選手の皆さんを応援します。
「考える人」2015年夏号
(文、取材・編集部/ 撮影・菅野健児)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。