プレスリリース

2015年07月09日

BACKSTAGE REPORT - “Clothes for Smiles”カンボジア図書館プロジェクト

~「考える人」2015年夏号(新潮社)より転載~

書物を失った人々に読む喜びを届けたい

20150709_img5.jpg 世界遺産アンコールワットがあることで知られるカンボジア北西部の町シェムリアップから、さらに北西へ車で二時間半ほど行ったバンテイミンチェイ州の農村にあるスヴァイ・チェック(マンゴー・バナナを意味する)小学校。タン・クムハック校長(五十六歳)にとって、それは夢にさえ見たこともないような立派な図書館だった。小学校の教室一室ほどの広さで、本の数も品揃えもまだ十分とはいえない。それでも、一九七〇年代から長く続いた内戦と、一九七五年から四年間のクメール・ルージュによる恐怖政治で知識層がことごとく粛清され、あらゆる書物が焼かれた記憶を今も生々しく持つカンボジアの人々にとって、村に図書館ができたことは明るい希望の光だった。
「私たち教員も子どもも、そして地域のみなさんも本当にわくわくしています。そして、図書館の存在を誇りに思っています。古い図書室のときは本を買うための寄付集めに苦労しましたが、今度のきれいな図書館を目の当たりにして、地域の人々も喜んでお金を出してくれます。蔵書をさらに拡充して、自分たちの手でこの図書館を維持していこうとみんな強く思っているのです」
 そう言いながら目を輝かせるクムハック校長自身、クメール・ルージュの支配下、教育を受ける権利を奪われた。学校教育制度そのものが廃止され、教師の八割が知識層として敵視され殺害されるなか、中学を出たあと勉強を続けることはできなかったのだ。しかし一九九一年に内戦が終わると教師の募集に応じて教育現場に立ち、独学で勉強を再開した。試験を受けて高校卒業資格をとったのはわずか四年前の二〇一一年のことだった。
 ユニクロが、グローバルブランドアンバサダーを務めるプロテニスのノバク・ジョコビッチ選手と進める「クローズ・フォア・スマイル(*)」のひとつである図書館プロジェクト。ユニクロから資金拠出を受けたシャンティ国際ボランティア会(SVA)は、カンボジア農村部に学校図書館や大人も使えるコミュニティラーニングセンター(CLC)を整備し、図書館にかかわる人材を育成。加えて図書の出版・配布などを行うことで識字率改善だけでなく、生活する上で必要な知識や技能(ライフスキル)の向上を支援している。
 SVAは一九八一年にカンボジア難民の支援事業に着手。内戦が終わってタイとの国境地域などに避難していた人々が帰還を始めると、カンボジア国内での支援活動に切り替えた。特に教育や出版分野に力を入れ、これまでに二百四十を超える学校を建設。図書館の建設や運営にも長らく関わってきた老舗の援助団体だ。

*二〇一二年にジョコビッチ選手とユニクロの共同発案により発足した、世界中の子どもたちに夢と希望を提供するプロジェクト。十億円規模のファンドを設立し、世界中から公募した子どもたちの未来を拓くアイデアの実現と、ユニセフ(国際連合児童基金)による途上国の教育環境改善プログラムを支援している。

家で両親に読み聞かせ

20150709_img6.jpg 一月下旬のある日、スヴァイ・チェック小学校と同じバンテイミンチェイ州にあるアンロン・トゥガン小学校でも、ユニクロからの資金を得てSVAが建設した図書館を小学校側に引き渡す贈呈式が行われた。仏教の国カンボジアでは式典は僧侶による読経ではじまり、あいさつは「みなさまに仏様の四つの恵み――長寿、繁栄、健康、力――がありますように」で締めくくられる。ゲストには、カンボジア伝統の万能布クロマーが首にかけられる。汗ふきや日よけ、袋、包帯など様々に使えるクロマーを贈るのには、「あなたを保護します」という歓迎の意味が込められているという。
 郡の教育局長やSVAカンボジア事務所所長の玉利清隆さん、ユニクロCSR部リーダーのシェルバ英子さんらが列席した贈呈式で、児童を代表して六年生のトン・タンヤさんら三人があいさつに立った。
「こんな図書館は見たことがありませんでした。心から感謝しています。古い図書室は本が少なかったけれど、これからは新しい図書館で本を読んだり字を書いたり、友達と話したり勉強ができます。私たちだけでなく、次の世代の子どもたちにとっても財産になると思います。自分の家のように図書館を大切にし、良い読書習慣を身につけることを誓います」
 式典ではユニクロから子どもたちへ、ノートや鉛筆、消しゴムなどの文具もプレゼントされた。代表児童が受け取ると同時に、五百人の子どもたちから一斉に日本語で「あーりーがーとー」の大きな声があがった。
20150709_img7.jpg テープカットのあと図書館になだれ込んだ子どもたちは、それぞれ好きな本を選び、一人で、あるいは友達と一緒に指で文字をひとつひとつ追いながら声をあわせて音読した。新しい物語に触れる喜びの表情は、日本でもカンボジアでも変わらない。
 六年生のキー・スーランさんは、読書は大好きだが、家にはいとこのお姉さんが買ってくれた二冊の本しかない。この図書館でたくさん勉強して、大きくなったら「会社で働きたい。どんな会社かはわからないけど」と、はにかんだ。
 五年生のウット・ランくんは、一日おきに図書館に来る。図書館で本を借りた翌日は家で読み、字が読めない両親にも読んで聞かせるという。「読んでいてつかえると、お父さんとお母さんは文句を言うんだ。早く読んでくれって。それくらい楽しみにしてくれていると思うと、励みになります」。大きくなったら学校の先生になりたいと思っている。
 三十年間の教師生活のあと、図書館司書になったというカン・ターサー・リヤンさんも、「新しい図書館は暑くないし、読書をするスペースもゆったりあって、とても環境がいい。子どもたちは本当に喜んでいます」と、うれしそうに語った。

元難民たちの献身

20150709_img9.jpg 次に、シェムリアップから南東に三時間ほど車を走らせたコンポントム州のニーペック村に、SVAが新たに建てたコミュニティラーニングセンターを訪れた。CLCは学校図書館と違い、農村部の大人が生活改善のために必要な知識を得られるよう図書館機能に加えて集会所や託児所など幅広い使い方ができるように作られている。もちろん、隣接する小学校の児童も休み時間や放課後、本を読みにやってくる。外の通路におかれたハンモックは大人気で、大人も子どもも肩を寄せ合うようにして座って本を読んだり、おしゃべりに花を咲かせたりしている。
 七十三歳のオン・ヒーさんは、毎日、農業の合間に来ては二、三時間過ごしていくという。その日、手にしていたのは歴史の本で、声に出して読むのが好きだという。ヒーさんはCLC運営委員会の委員長でもある。
 外国からの資金援助が終わったあとも学校図書館やCLCが機能しつづけていくためには、地元の人々による主体的な運営が欠かせない。その鍵を握るのが地元運営委員会だが、ニーペック村ではヒーさんと共に、一人の女性運営委員が高い意識で周囲の人たちを啓蒙している。
 その人は、ミック・ランさん(五十五歳)。正式な教育は受けていないが寺で学び、妊婦を助ける助産師のような仕事をやってきた。ポル・ポト政権時代は夫も自身も理由なく投獄され、夫はそこで命を落とした。一男一女を育てていたが、娘も連行され行方不明のままとなっている。苦難の人生だが、生きる姿勢は前向きだ。
20150709_img10.jpg「知識はとても重要です。私の世代にはとても病気が多かった。でも、農薬の害などを知っていれば、若い世代は避けられる病気もあるはずです。知識を若い人に広げなければいけません。だから一軒一軒家を回って、CLCの意味を伝えているのです。みんな来ると、良さに気づいてくれますよ」
 ランさんの家には、CLCで作り方を学んだ簡易トイレや、自分で作った井戸水を汲む手動ポンプなど、暮らしを良くする様々な工夫がなされている。
 JICA(国際協力機構)や国際NPO・JENで働き、アフガニスタンや南スーダン、イランなど開発援助の現場を十五年以上歩いてSVAに加わった玉利さんは、地元の人が本気で取り組まない限り、こうしたプロジェクトがうまくいかないことを熟知している。だからこそ、ニーペック村の人たちの積極的な姿勢から大きな手応えを感じるという。
 その背景には、学校図書館やCLCプロジェクトを現地で支える萩原宏子さんや江口秀樹さんら若い日本人スタッフの奔走に加え、ユン・ヴィスナさん、ハム・ヴィチェットさんらカンボジア人フィールド事務所マネージャーの献身的な働きもある。
 ヴィチェットさんは、ポル・ポト政権崩壊後の内戦下、たった一人でタイ国境に逃れ、十一歳から二十四歳になるまでの十年以上を難民キャンプで過ごした。キャンプの中の学校で配られた本にSVAが発行した本があったことを記憶していて、帰国後SVAに応募してきたという。
20150709_img11.jpg ヴィスナさんも一九八九年にボートピープルとしてインドネシアに逃れて難民生活を送っていた。ポル・ポト政権崩壊後の内戦時代に兵役年齢になり、母から「武器をとって人を殺すか、それともボートピープルとなって自らの命の危険を冒してでも人を殺さない道を選ぶか」と問われ、後者を選んだ。いま得意な英語を使ってSVAの仕事ができるのは、母親が当時禁止されていた英語を教師を雇ってこっそり学ばせてくれたからだという。二人とも、カンボジアの次代を担う子どもたちに教育を与えたいという思いは誰にも負けないくらい強い。
 本を読むことができなかった時代を記憶する人たちが育てていく図書館とコミュニティラーニングセンターは、計り知れない可能性を秘めている。

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カンボジア近代史

1867年 宗主国であったシャム(現在のタイ)国が、カンボジア王国に対するフランスの保護権を承認。
1887年 カンボジアがフランス領インドシナに編入される。
1940年 日本軍がインドシナ進駐。
1945年 ノロドム・シアヌークが独立を宣言。日本の敗戦後、フランスの保護下に戻る。
1949年 フランス連合内で独立。
1953年 警察権・司法権・軍事権を回復し、完全独立。
1970年 ロン・ノル首相によるクーデター。クメール共和国樹立。米軍によるカンボジア空爆。
1975年 クメール共和国降伏。クメール・ルージュが首都を掌握し、ポル・ポトを指導者に、原始共産主義社会の実現を目指す。虐殺と飢餓により数百万人の犠牲者を出す。
1978年 ベトナム人民軍がカンボジア侵攻。
1979年 ポル・ポト政権崩壊。親ベトナムのカンプチア人民共和国(ヘン・サムリン政権)樹立。
1982年 反ベトナム3派(ポル・ポト、シアヌーク、ソン・サン)が民主カンプチア連合政府を作り、サムリン政権と内戦。
1990年 東京で和平を目指す「カンボジア和平に関する東京会議」開催。
1991年 パリ和平協定調印。20年に及ぶカンボジア内戦終結。
1992年 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)による平和維持活動始まる。
1993年 国民議会総選挙。シアヌークが国王に再即位し、カンボジア王国誕生。
1999年 東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。
2004年 シアヌーク退位。息子のノロドム・シハモニが国王即位。
2013年 国民議会総選挙。与党カンボジア人民党勝利。フン・セン首相続投。

“Clothes for Smiles”ではカンボジアの図書館プロジェクトの他に、セルビアでのお買い物体験、フィリピンのワクワークセンター、バングラデシュとガーナ、ジンバブエでの女子サッカー、フィリピンのe-Education、大阪での子どものホスピスプロジェクトなどが始動しています。「服のチカラで世界を良い方向に変えていくこと」。その実現に向けて、ユニクロはさまざまな取り組みを続けています。

「考える人」2015年夏号
(文、取材・編集部/ 撮影・菅野健児)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。