2016年07月04日
BACKSTAGE REPORT - インドネシアの伝統柄バティック グローバル展開で働く人々を支援
Batik Motif Collectionの収益がインドネシアの工場で働く人々のライフスキル修得に役立てられる
~「考える人」2016年夏号(新潮社)より転載~
花や鳥、神話や伝説をモチーフにした鮮やかなろうけつ染めの布。インドネシア伝統のバティックが、二〇〇九年にユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、新たな注目を集めている。インドネシア国内では十月二日の全国バティック・デーに加え、地域ごとに週一度か二度のバティック・デーが定められ、人々は日常的に伝統布を纏う楽しみを再発見している。
一万三千を超す島々から成る海洋国家インドネシアは、交易を通じてインド、中国、中東からヒンズー教、仏教、イスラム教の影響を受け、長らくオランダの植民地であったことからヨーロッパの影響も受けてきた。第二次世界大戦中は日本の支配下にもあった。バティックは、こうした複雑な歴史と文化をそのまま映す鏡のような芸術であると同時に、インドネシアの人々の生活に欠くことのできない伝統服でもある。
このバティックを現代的でシンプルなスタイルにアレンジした商品を開発・販売し、その収益の一部をこれらの商品を製造するインドネシアの工場で働く人々の教育支援に役立てようというユニクロの新たなプロジェクトがスタートした。
バングラデシュでの歩み
働く人の未来をひらくプロジェクト「ファクトリー・ワーカー・エンパワーメント・プロジェクト」の第一弾は昨年バングラデシュで始まった。
同国の女性用伝統衣装サロワカミューズをモチーフにしたチュニックやスカーフなどからなるウィメンズ・コレクションを、日本を含む世界十四カ国で販売。その収益の一部を、バングラデシュの取引先縫製工場で働く女性約二万人を対象にした衛生・健康管理や家計管理などの教育にあてている。
どのような教育プログラムなのか、ユニクロと協働する国際NPO・BSR(Business for Social Responsibility)上席副代表のペダー・マイケル・プルザン-ヨルゲンセン氏が説明する。
「縫製産業はバングラデシュの基幹産業で急成長分野です。工場で働く人の多くが地方からやってきた女性で、基礎教育を受ける機会に恵まれず、衛生や健康管理についての知識が十分ではありません。手洗いやマスク着用といった病気の予防法や、具合が悪いときの対処もわからない。知っていても、仕事が終わるとクリニックは閉まっているし、仕事中に行くとその分賃金が減るため行かない。それで体調を悪化させる人も多いのです。
BSRはバングラデシュで二〇一〇年から、約百カ所の工場で、ユニクロを含む二十の国際企業と協働し、教育プログラムを実施しています。地元NGOと協力しながら、工場従業員の教育、工場内クリニックの看護師のトレーニング、さらに試験的に工場食堂の栄養士の教育も始めました」
教育プログラムは「ピア(同僚)教育」システムをとる。核となる従業員を選んで就業時間内にプログラムに参加してもらい、自身や家族の病気予防、適切な月経対処、家族計画や妊娠・出産時のケア、バランスのとれた食事やその調理法などの基礎知識を学んでもらう。その後、彼女たちが得た知識を同僚に広げていくことで、自発的で持続的な知識の伝播が可能になるという考え方に基づいている。
それにしても、就業時間内に従業員が製造ラインを離れて研修を受けることに経営陣の抵抗はなかったのだろうか? ヨルゲンセン氏が語る。
「私たちは決して無理強いをしません。従業員だけでなく工場側にも良いことだと理解してもらえば協力は得られます。もちろん、伝統社会で女性に対する男性の態度を変えることは常に難しいものです。また、家族計画は社会の価値観に関わるセンシティブな問題ですから、繊細なアプローチが必要です」
工場が前向きに取り組む理由のひとつに、BSRが示す高い投資リターン実績がある。BSRがエジプトで二〇一一年に行った調査によると、工場で働く女性従業員の健康教育プログラムのために企業が行った投資一ドルに対し、従業員が健康になり欠勤が減ったことや労働効率が上がったことによる利益は実に四ドルにのぼったというのだ。だが、こうした数値以上に意味があるのは、〝一人一人の物語〟だとヨルゲンセン氏は言う。
「プログラムで得た知識を家族や友人、コミュニティと共有して、みんなが健康になった。あるいは、乳がん検査を受けた。病気が治った。そういった話を聞かせてもらうのが私たちにとっての何よりの喜びです。世界中で五十万人を対象に教育プログラムを実施してきたというのは大きな数字ですが、それ以上に、それぞれの前向きな物語を聞く方がうれしい」
たしかに、バングラデシュで教育を受けた女性たちの言葉もはずんでいる。
「お米だけ食べていれば大丈夫だと思っていたけれど、野菜が大切なことを知りました。エクササイズの時間が楽しかった」(シミラ・アター・サチさん=二十三歳)
「前は野菜を切ってから洗っていたけど、栄養分まで流されるとトレーニングで知って、洗ってから切るようにしています。また、以前は朝食前の歯磨き一回しかしなかったけれど、いまは朝食後と就寝前の二回磨くようになりました。石鹸で手と爪を洗う習慣もつきました。いつか母になったら、習ったことを自分と子供のケアに活かしたい」(ゴラピ・アクターさん=二十歳)
「生理中に魚と卵を食べてはいけないと聞かされて育ったけれど、ミネラルとタンパク質のために必要だということを初めて知りました」(ルキー・アクターさん=二十七歳。四歳の男の子の母)
多くの人がプログラムのメリットとして挙げたのが、生理用ナプキンの使用だった。教育を受ける前は不衛生なボロ布を使うことで体調を崩す人が少なくなかった。
このプログラムを実施する工場の本社でソーシャルコンプライアンス・マネージャーを務めるシラジュン・ムニラさんによれば、研修の結果、健康状態が大きく改善し、欠勤率が三六%下がった実績を示すと、当初研修に難色を示していた管理職も意義を理解し、すべての工場において会社の経費負担で生理用ナプキンを支給することを決めたという。
「教育プログラムで扱うテーマはとても基本的な、日々の暮らしの中のちょっとしたことです。でも、簡単だからこそ、効果があるといえるのです」と、ムニラさんは微笑んだ。
バティックという伝統の豊かさ
バングラデシュでの実績を踏まえ、今年新たにスタートしたのが、インドネシアでのプロジェクトだ。ユニクロを展開するファーストリテイリングで、東南アジアのマーチャンダイジングディレクターとしてこのプロジェクトを主導する山中厚さんが経緯を説明する。
「私たちが事業を展開する国の伝統にインスピレーションを得て商品を開発・販売し、その収益の一部を、その国の取引先工場で働く人々に還元するという、これまでにないプロジェクトに昨年初めてバングラデシュで挑戦しました。幸いお客様にも評価していただき、第二弾を考えていたところで、昨年秋、バティックに着目したのです。東南アジアに赴任して身近にバティックに触れるにつれ、その多種多様で鮮やかな伝統柄と、それらが人々の生活に深く根ざしていることに感銘を受けました。ちょうどファッションの流れとしても、エスニック柄は今年のトレンドでもあります。
バティックの伝統を踏まえた商品を作るため、まずはインドネシアでバティックの保全活動を行う団体に協力を依頼、現地で活動するバティックデザイナーを紹介してもらいました。インドネシアではバティックを盛り上げようという機運が高まっているので、ユニクロの商品として世界に発信したいというと、とても喜んでもらえました」
インド、中国、中東、オランダなどの影響を受けながら長い時間をかけて発展してきたバティック模様は多様で、柄のひとつひとつに意味がある。たとえば王宮バティックの代表格であるパラン模様は、スルタンがオランダとの戦いに向かうとき、兵が腰に差していた刀の並んでいる様子を見立てたという説と、珊瑚が波頭で浸食される様子から「刀や鉈(パラン)が砕けた」という意味で名付けたとの二説がある。トゥルントゥン(芽生え育つという意味)模様は、これを描いていた王女の側を王がとおりがかり、愛が芽生えたという言い伝えから名付けられた。「七宝つなぎ」という意味のカウン柄のうち、大柄で白地部分の多いものは、かつて王族だけが着用できるものだった(『ジャワ更紗 いまに生きる伝統』より)。
これら柄の持つ意味を踏まえつつ、日常的に着こなせるよう、絵柄の大きさや色を調整するなど、現地のバティックデザイナーと試行錯誤しながら商品開発は進められた。男性向けのシャツについては、細身に仕立ててスタイリッシュな形を作り上げた。バティックというインドネシアの伝統柄を使いながら、世界の市場で通用するユニクロの商品として、スタイルや着心地を追求したというわけだ。
一方で、元々は手作業のろうけつ染めであるバティックの繊細なニュアンスを出すため、ろうの亀裂による滲みをプリントで再現するなど、伝統を踏襲する努力も惜しまなかった。バティックに誇りを持つインドネシアの人々の協力があってこそ可能だったという。
自らが魅了されたインドネシアの伝統柄をユニクロの商品として世界に送り出すことが、現地への貢献にもなる―これまでとは違う新たな仕事の形に山中さんは大きな手応えを感じている。
ユニクロは六月、特別コレクション「Batik Motif Collection」を発売。男性・女性用のシャツ、ワンピースなど全八アイテムを、日本を含む世界十二カ国で展開します。その収益の一部がインドネシアの縫製工場で働く人々の教育支援に使われます。
「考える人」2016年夏号
(編集部・文 text by Kangaeruhito)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。