アメリカ出身の写真家ソール・ライターは、しばしば「カラー写真のパイオニア」などと表現される。今なお世界中の人々を魅了する色褪せない作品が、今回初のアパレル化ということで、UT のコレクションに加わった。ファッションフォトグラファーとして名を馳せた1950年代以降、急遽表舞台から姿を消し、自身の創作活動を追求し続けた同氏。他のどんな写真家とも違う、彼の人生や創作活動の背景とはどんなものだったのだろうか。作品の魅力を紐解くべく、ソール・ライター財団のマーギット・アーブとマイケル・パリーロに話を聞いた。
①画家を目指していた
もともとは画家を目指していたというライター氏が絵画の魅力に気づいたきっかけとは?
マ―ギット・アーブ(以下、マ―ギット):絵を描き始めたきっかけはまるで一目惚れのようなものだったと言います。それはティーンエイジャーのある日の出来事でした。彼は、ニューヨークの友人を訪ねたとき、最近絵を描き始めたという彼女の作品のいくつかを見せてもらったそうです。ソールは、その日のうちに画材を買いに出かけたそうです。彼の10 代はピッツバーグの実家の屋根裏部屋で絵を描くことに注がれました。その後ピッツバーグ大学の図書館で美術史を独学で学び、フランスと日本の美術に触れ、それが彼の絵画やその後の写真に大きな影響を与えました。絵を描くことはソールを生涯夢中にさせました。ティーンエイジャーとして絵を描く楽しさを知った彼が絵を描くのをやめたことは一度もありませんでした。
②写真に目覚めたきっかけとは
画家を目指していた彼が写真と出合ったきっかけとは?そして写真と絵画にどんな違いを見出していたのだろうか。
マイケル・パリーロ(以下、マイケル): ソールが描く絵と彼が撮る写真の間には、たとえば構図の観点から、つながりがあるように感じられるかもしれません。けれども、ソールはこの 2つを互いに異なるものと考えていました。「私が写真を撮っていたとき、私は絵を描くことを考えていませんでした。写真はものを見つけることですが、絵画はそれとは異なり、何かを作ることです」と彼は言っていたのです。
③生涯住み続けた東10丁目の小さなアパート。
ニューヨークに移ってから生涯住み続けたのは東10丁目の小さなアパートだった。彼がこのエリアをこよなく愛した理由とは?
マイケル: 彼は、ニューヨークに引っ越した本当の理由は、ピッツバーグに住む家族の息詰まるような期待から逃れるためだと言っていました。ピッツバーグでは、彼の父親や家族の他のほとんどの男性と同じようにラビ(ユダヤ教の聖職者)になることを期待されていたのです。ソールは、それとはまったく異なる人生を自身のために思い描いていました。
マーギット: ソールは 1952 年にこのアパートに引っ越してきました。彼のアパートには北向きの大きな窓があり、下に絵を描くための明るく拡散した光が入ります。アーティストにとってこれ以上のものはないのではないでしょうか。この地区は家賃の安いことで知られており、ソールのような若い芸術家を惹きつけていました。デ・クーニングやポロックなど、多くの著名な芸術家がこのエリアにスタジオを持っていたので、ソールは常に有名な画家に出くわしていたに違いありません。彼は、東10丁目のTanager ギャラリーの裏にあるアパートから 1 ブロック離れた場所にスタジオを持っていました。そこで彼は、常にアート界の人々と出会っていたのです。 50 年代には Tanager で 2 つの展示会を開きました。少し離れたところには、ブロードウェイ近くの 4 番街があり、通りには何十もの本屋があります。ソールにとって、必要なものがすべて揃うエリアだったのでしょう。
マイケル: ソールが自宅付近で多くの写真を撮っていたのは偶然ではありません。このあたりはほとんどの建物が 3 階建て以下で、暖かく輝く光が差し込むこの1 番街での撮影が好きだったのだと思います。
「生前、彼の部屋は本や版画、絵画、写真機材、画材などで溢れていました。この部屋は彼の人生における無限の好奇心を反映しているといつも思っていました」とマーギット。
④ファッション写真家として活躍した50年代
50年代のライター氏は、『ハーパース・バザー』や『エル』英国版『ヴォーグ』などのモード誌で活躍した。彼の撮影するファッションフォトにはどんな魅力があったのだろうか。
マイケル: ソールは美を表現するのが好きで、多くのアーティストが美ではなく醜さを描く傾向があるのはなぜだろうと疑問に思っていました。この特徴が、彼がこれほどパワフルで素敵なファッション写真を制作するのに役立ったと思います。彼のファッション作品は、反射やぼやけた前景面の使用など、彼のストリート写真の多くの側面を共有しており、それが同時代の写真家の中で彼を際立たせています。ソールはまた、管理されたスタジオ環境とは対照的に、自然発生的で予測不可能な要素を取り入れたストリートでの撮影を好みました。彼は可能な限り、物事をコントロールするよりも、本当の瞬間を捉えることを好んだのです。
⑤ソール・ライターとカラー写真
“カラー写真のパイオニア”と表現されることが多いライター氏にとってその魅力とは?カラーフィルムを通して表現したかったこととは?
マイケル: 紫のアンブレラのUT にあるように、ソールはシンプルにこう言いました。「私たちは色に囲まれている」。すなわち、カラーフィルムがあるのに関わらず、なぜ色を使わないのでしょうか? もちろんソールもモノクロが大好きで、非常に効果的に使用していました。ただ何十年もの間、写真の世界には色の実体がなく、カラー写真がモノクロ写真ほどに価値があると見なされてなかった理由を理解しませんでした。それに彼は何事にも興味を持ち、生まれつきの実験者でもあったので、カラーフィルムの可能性を追求したかったのではないでしょうか。
マーギット: ソールは 50 年代に色を多用し、最初は主に個人的な仕事に使用し、毎日の習慣として撮影していました。カメラ用のコダクローム フィルムは 40 年代に広く普及しましたが、主に商業目的で、本格的なアートのプラットフォームとは誰も考えていませんでした。ソールはこの偏見を無視しました。彼はまた、写真家というよりも画家のように色を使用し、印象、感情の表現、または現実の抽象化のように色を使用しました。
マイケル:ソールは自分が表現したいことについてあまり語りませんでした。彼は、作品自体に物語らせることを好みました。しかしながら、彼のカラー写真と白黒写真の間にはいくつかの違いが見られます。白黒作品の主要な被写体はしばしば人々であるのに対し、カラー写真は全体的なシーン自体により焦点を当てていました。
⑥表舞台から姿を消した理由
1981年に5番街のスタジオを閉鎖し、ファッションフォトグラファーとしてのキャリアから自身の創作活動に専念したライター氏。その理由とは?
マーギット: 80 年代初頭、ソールはまだいくつかの企業からファッション撮影の依頼を受けていましたが、ファッション業界は非常に企業的になりつつあり、ソールの作品は芸術的すぎると非難されるようになりました。写真家は自分の写真についてほとんど発言できない状況になっていったのです。そして実際、彼のスタジオを閉鎖したのは市の税務当局でした。彼は税金の支払いを怠っていたのです。彼のファッションキャリアは終焉を迎え、お金は逼迫していました。役人は彼に通知し、一晩で機器とファイルを移動しなければなりませんでした。非常に切迫した状況だったのです。
物事はとても静かになりました。ソールは写真を撮り続けながら、水彩画を描いたり、ドローイングなどをして、彼のパートナーであるソームズ・バントリーと静かな時間を過ごしていました。さらにその頃のソールは、自身が撮影したいくつかの白黒写真に絵を描き始め、今日私たちが彼の“ペインテッドヌード”と呼ぶ膨大な作品を作成しました。当時、彼にはギャラリーの担当者がいなかったので、写真やスライドはただ箱に入れられたままでした。
⑦創作の題材や構図など、作風に影響を与えたものとは?
彼の作品の独自の構図やスタイルは、どんなものから影響を受けたのだろうか。
マイケル: ソールは日常の何気ない出来事を撮影するのが好きで、自宅の近所を毎日散歩していました。ボナールやヴュイヤールなど、日常的な設定から崇高なシーンを引き出した彼のお気に入りの画家の影響を受けたといえます。そして、彼の構図と余白の使い方は、他のどの写真家よりも、彼が敬愛する日本の浮世絵師を含む画家たちの影響を強く受けていました。
⑧雨や雪が好きだった?!
作品のモチーフとしてたびたび登場する雨や雪。彼は雨や雪にどんな魅力を感じていたのだろうか。
マーギット: 雨や雪、そしてそれらの反射も、彼が絵を描くように視覚的に遊ぶことを可能にしたと思います。彼は本質的に画家であり、雨や雪は彼が現実を拡散または混乱させ、イメージの本質的な要素に注意を向けることに役立ったのではと思います。彼は光の遊びを楽しみ、観る者をほんの少し混乱させるのが好きでした。そして何より、本当に雨や雪を美しいと感じていたのだと思います。
⑨素顔のソール・ライター
知られざるライター氏の素顔について、彼をよく知る2人にその印象を聞いた。
マ―ギット: ソールには多くのユニークな能力がありました。彼は芸術と思考の天才でしたが、独特の頭脳も持っていたと思います。彼は左手または右手を使用して、前後に完全に書くことができました。それが彼の絵画や写真における大胆な構図につながったのかもしれません。
⑩作品がアパレル化されるのは初めてのこと。
今回ライター氏の作品が世界で初めてTシャツとなった。そのことについての思いを聞いた。
マイケル: アーティストにとって、自分の作品がTシャツのデザインになることはとても光栄なことだと思います。マーギットと私はいつかソールの写真がTシャツとなることを楽しみにしてきました。私自身、若い頃にレンブラント、ミロ、ダリの作品が描かれたTシャツを好んで着ていました。UTは世界的なTシャツブランドで、品質についても信頼できます。コラボレーションの話が来た時、ついにソールの作品をアパレル化する日が来たのだと確信しました。ソール自身がこのTシャツを見ることができたら本当に良かったのですが。
PROFILE
ソール・ライター|生涯の大半をニューヨークで過ごした伝説的な写真家。1950年代から60年代にかけて有名ファッション誌に作品を掲載したが、80年代には表舞台から一線を引く。2006年、82歳で発売した写真集『アーリー カラー』が世界中で大ヒット。”カラー写真のパイオニア”として一躍脚光を浴びる。世界各地で回顧展や出版物が続き、2013年にはドキュメンタリー映画も公開された。2013年に逝去。約8万点に及ぶ膨大な写真コレクションから象徴的な作品を厳選し、UTとの世界初のアパレルコラボレーションを実現。
©Saul Leiter Foundation