銭湯が好きすぎて廃業寸前だった京都・五条の梅湯を“気持ちだけ”で引き継ぎ、京の銭湯文化を盛り上げている湊三次郎さん。グラフィックの巨匠、ピーター・サヴィルのTシャツ姿で、銭湯の魅力を語ってくれた。
「やるからには辞められなかった」
今昔物語によると、すでに平安時代には京都には銭湯があったといわれている。現在の京都には100をちょっと超えるくらいの銭湯が営業しているのだが、年7軒のペースでその数を減らしているのだそうだ。そんな厳しい銭湯業界に、湊さんはいかにして導かれていったのか。
「梅湯では学生の頃にアルバイトをしていたのですが、前オーナーの方から閉じると聞いたときに、もう居ても立っても居られなくなって、周囲からの反対も聞かずに脱サラして継ぐことを決めました。学生時代は1日に20軒くらい回っていたし、全国の銭湯巡りもものすごくやっていて、700軒以上は通ったくらいの好き者ではあったのですが、銭湯の経営や一日の回し方など何もわからずに始めてしまったので、実際に始めてみると日々問題が出てきて、1年目は苦労のしっぱなしでした。燃料の経費ってこんなにかかるんだと思ったり、設備の老朽化もあからさまだし。今、銭湯がどんどんなくなっている原因に設備投資がなかなかできないというのもあると思います。僕も正直に言うと、1年経たずに辞めたくなったくらいでした。でも、1年足らずで辞められないというプライドと葛藤しながら、朝起きたら浴室の掃除を始めて、開店準備をして、日中は番台業務をしながらボイラーに薪をくべ、深夜2時に店を閉じて、そのまま疲れ切って家に帰れずに入り口の床で寝ていました。ちょっとしたノイローゼ状態でしたし、牢屋だと思っていました(笑)。ある日、手伝ってくれていた人に店を任せて、半年ぶりくらいに下界に降り立ちました。あれだけ街歩きが好きだったのに、目的も何もなくて、とりあえずマクドナルドに入ったはいいけど、やることがわからなくて店に戻ることにしました。自分が不安になりました」
湊さんが手に持っているのは、お洒落用に買ったというブルゾンだが、現在はもっぱら作業着で、こすれるお腹あたりはデニムで補修済み。薪をくべる湊さんが着ているのはイギリスのグラフィックデザイナー、ピーター・サヴィルのデザインのTシャツ。
銭湯という文化を残していきたい
転機は同世代のボランティアで掃除や番台を手伝ってくれる人が出てきたことや、頭を抱えていた漏水が直って精神状態がよくなったこと。丸5年を迎える湊さんの梅湯には、プロジェクトを一緒に考え、店の営業を任せられるスタッフもできた。今では日に200人ほど訪れるようになり、開店前から近所のおばあさんが一番湯を楽しみにし、深夜は一杯飲んだ若者たちが締めの風呂に浸かりに来る。
普通は男湯と女湯で左右対称だが、梅湯はばらばら。日本では3人しかいないというペンキ絵師のひとり、田中みずきさんに描いてもらった松の絵は女湯に。
「ようやく出た利益で、1年前に煙突を改修して、2階も改装しました。銭湯では意外かもしれませんが、2階にはタトゥースタジオが入っています。近所のお店の方々が鏡広告を出してくれたり、湯に浸かりながら梅湯新聞も読めたりします。梅湯のときと同じような状況で、滋賀県大津市の都湯、容輝湯、京都市上京区の源湯も引き継ぎました。都湯は2年間閉まっていたので釜も新調しました。梅湯に比べたらまだまだですが、次はできたら東京で銭湯をやってみたいなって思っています。弟も僕と同じで銭湯活動家なのですが、一緒になって探している状況です。うちは4つの店とも男湯と女湯が分かれる手前にロビーを作っているので、風呂から上がって、湯の余韻に浸りながら、おのおのがのんびりできるようにしています。そこで世代を超えたコミュニケーションが生まれているのを見ると、やっぱり銭湯という文化をちゃんと残していけたらいいなって。その積み重ねがカルチャーになるのだと思います」
© Peter Saville and New Order
PROFILE
みなと・さんじろう|1990年、静岡県生まれ。大学時代に京都へ移住。高校生の頃に横浜の寿町で入ったのが初銭湯とデビューは遅め。
サウナの梅湯:京都府京都市下京区岩滝町175 電話 080・2523・0626 14時〜 26時(土日は6時〜 12時も営業) 木休
Twitter @umeyu_rakuen