ジェイソン・ポラン
2021.01.28

アーティスト、ジェイソン・ポラン。彼が愛したニューヨークの街と人。

ジェイソン・ポラン

わずか2,3分の早描きで、日常の些細な一コマですらユーモラスな物語に仕立ててしまうアーティスト、ジェイソン・ポラン。昨年1月、37歳という若さでこの世を去った彼へのオマージュとして、「ジェイソン・ポラン」コレクションが登場。描くことへの情熱を燃やし続けた彼の軌跡を辿る。

すべてのニューヨーカーを描くことを目指して。

ジェイソン・ポラン

幼い頃から絵を描くことが大好きだったというジェイソン。ミシガン大学芸術デザイン学部を卒業した彼は拠点をニューヨークに移す。そして2008年、人種のるつぼと呼ばれるニューヨークに住むすべての人を描くことをゴールとする「Every Person in New York」プロジェクトをスタート。地下鉄の駅、レストラン、カフェ、公園など、ニューヨーカーが過ごす何気ない日常の瞬間を捉え、自身のブログに次々に披露していった。描いた数はなんと30,000人を超え、後に同プロジェクトは書籍として出版された。これまで何度もコラボレートしてきたジェイソンとの今回のメモリアルコレクションには、書籍『Every Person in New York』からの作品も登場。ラジコンのボートで遊ぶ子供、写真を取る人、地下鉄に乗っている人、幼い息子と父親の微笑ましいやり取りなど、何気ない光景だがジェイソンならではの鋭い観察眼とそれを瞬時に捉える画力とで作り上げられた味わいのある作品ばかりだ。他にキリンやハンバーガーなど、ジェイソンがお気に入りのモチーフもコレクションに加わる。

ジェイソン・ポラン

ジェイソンが遺した数多くの作品は、現在公開中のスペシャルサイトでも楽しむことができる。

自ら立ち上げたドローイングクラブに込めた思い。

ジェイソンは自身が描くことに悦びを感じていただけでなく、その楽しさを多くの人に伝えたいと願っていた。2005年、お気に入りだったタコベル(タコス専門のファーストフード店)を拠点とするドローイングクラブを設立。「タコベルで絵を描いたなら、もう君もドローイングクラブのメンバーさ」。ジェイソンはそういって、誰にでもアートの魅力を身近に感じられるよう広く門戸を開いてくれた。彼のこの思いは、後にユニクロとのコラボレーションが始まったことで、ユニクロの世界各国の旗艦店(NYの5番街旗艦店、東京・吉祥寺店、シンガポールなど)で子供たちを対象にしたドローイングイベントへと発展。キラキラと目を輝かせながら描くことの楽しさを味わう子供たちの姿を見て、ジェイソンは何を思っただろうか。

ジェイソン・ポラン

シンガポールのオーチャードセントラル店でのドローイングイベントで笑顔を見せるジェイソンと子供たち。

ジェイソン・ポラン

2016年、ジェイソン・ポランとユニクロ初のコラボレーションでは、ニューヨーク5番街旗艦店の店内装飾に彼のドローイングが施された。

アートの普及活動も順調に進んでいた矢先、ジェイソンは天国へと旅立った。悲しみに暮れながらもジェイソンへの敬意を込めて、ユニクロはMoMAと協業しドローイングイベントを開催。彼への感謝、愛、そして追悼の意を込めた作品、メッセージが数多く寄せられ、改めてジェイソンがニューヨークの人々に、そしてアートに愛され続けた人物であったことを裏付けた。

ジェイソン・ポラン
ジェイソン・ポラン

2020年2月、ユニクロ ニューヨーク5番街店とニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催したジェイソンの追悼イベント

さらに、彼の意思を引き継ぎ、「The World’s Biggest Drawing Club」と題したイベントを開催中だ。SNSを駆使し、文字通り世界最大のドローイングクラブへと発展した。このイベントの模様は改めてレポートしていくとして、まずは明日から発売のメモリアルコレクションを手に取って、あなたもドローイングクラブのメンバーに名を連ねてほしい。

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PROFILE

ジェイソン・ポラン|アメリカ・ミシガン州生まれのジェイソン・ポランは、大学時代以降をニューヨークで過ごしました。現在、彼の作品は世界中で展示されています。ジェイソンはまた、「タコベル ドローイングクラブ」の創設メンバーでもあります。ジェイソンは、新聞「ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)」や雑誌「ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)」、フォード財団などとコラボレーションプロジェクトを行い、癌により37歳で亡くなるまで、あらゆる人々をニューヨーカー誌で描き続けました。

©Jason Polan