プレスリリース

2004年07月05日

オリンピック日本代表選手団公式服装の舞台裏・後編 ~「考える人」2004年夏号〜

~「考える人」2004年夏号(新潮社)より転載~

東京、パリ、小松、

そして、中国・南通へ。

オリンピック公式服装の長い旅

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公式服装はデザインはもちろん、素材の選択、しかるべき工場の選定も重要な要素である。
新しい素材を採用し、プリントの精度を上げ、技術力と誠意ある工場で縫製する。
急成長する中国の都市、南通を訪ねた。


 上海から北北西へ車で約三時間走り続けると、突然渋滞に巻き込まれた……というのは勘違いで、そこから先は揚子江だった。向こう岸の町に渡るため、フェリーを待つ車列の最後尾に並んだというわけだった。

 向こう岸といっても何も見えない。海としか思えない揚子江を四十分ほどかけてゆるゆると渡ってゆく。黄土色の波がたぷたぷと揺れている。
 五十年前の日本と、たった今の日本が混在したまま急速に経済大国化しつつあるのが現在の中国だ。揚子江のほとりにたどり着くまでに見た田舎の光景は戦後まもなくの日本に重なる。しかしそれと同時に、日本が五十年をかけてやって来た道を、たったの五年の猛スピードで駆け抜けてゆく勢いが、今の上海とその周辺には溢れている。上海からの道中、ベンツやアウディが私たちの車をぐいぐいと追い抜いていったように。 
 フェリーが着岸した町は滑走路にも充分なほど幅の広い幹線道路が真っ直ぐに延びて、その両脇に真新しいピカピカの街路灯が整然と並んでいる。ここから三十分ほどで南通(ナントン)市内に入る。

 日本企業の工場が続々と進出し、欧米スタイルの高層ホテルも次々に建設されている南通は、上海から百五十キロ圏内の一大経済圏「グレーター上海」のひとつに数えられる。フェリーで渡ってきた場所にも二〇〇八年には巨大な橋が完成するという。南通の経済的膨張には今後ますます加速度がつくだろう。
 アテネオリンピック日本選手団の公式服装の一部がここ南通の縫製工場で縫製されている。ふだんからユニクロの衣服を受注するこの工場で実際にはどのように人々が働き、公式服装が縫製されているのか。その様子を見たいと思い、やって来たのだ。工場本社のエントランスは私たちの乗った車が近づくと自動でするすると開いた。ゴミひとつ落ちていない構内は多くの人が出入りしているのに、しんとして静かだ。ここが日本だと言われれば納得してしまうシステマティックな空間。

 工場の中に入る前に、今からちょうど一年ほど前、パリから始まった公式服装の長い長い旅を、まずは振り返っておきたい。

髙田賢三氏の頭にあるもの

 服のデザインが成立するためには、素材、生地の選定が不可欠である。絹、麻、綿などの伝統的素材はもちろん、最新の素材も次々に開発されている。それらをどのように使いデザイナーの頭のなかのイメージを具体化するか。

 髙田賢三氏とユニクロのスタッフの最初の打ち合わせは、パリの髙田賢三氏宅で行われた。そこで伝えられた髙田氏のイメージを、素材に結びつけ候補を選定するのがウイメンズ生産チームのリーダー島田朋雄氏である。

 島田氏は中国を初めアジア諸国の工場を飛び回っている。年間のほぼ三分の一が海外出張。そこで製品や素材の手配、生産管理を行う。品質や納期をチェックする最前線の仕事である。もちろん海外出張ばかりではない。日本で開発された最新素材を取り寄せて採用できるかを検討したり、あるいはある目的のための新素材の開発を依頼したり-いわばユニクロの商品生産のコントロールタワー的な存在である。

「髙田さんのイメージについてのメモが残ってるんですが、軽い、すずしい、光沢をおさえる、というような言葉から始まったんですね。髙田さんのなかにはこういうジャケットにこういうパンツというイメージがあるんですが、それをどんな素材で表現するか、という可能性をまずは相談するわけです。そこからは東レさんに声をおかけして、イメージの相談をしながら素材の提案をいただいたり、日本のしかるべき工場を推薦してもらったりしたんです。

 集まった素材を持って、またスタッフがパリの髙田さんに会いに行きます。現物を前にするとさらに具体的な相談になるんですね。髙田さんの仕事場にもいろいろな素材が揃っていますから、日本から持ってきたものと見比べつつ『もう少しこういう感触のものはないですか』とだんだん的が絞られていくわけです。その結果から、あ、それならあの素材がいいな、とイメージが見えてくる」

 パリの髙田氏とのこんなやりとりが何度かあって素材が決まると、今度はサンプルを作る段階になる。しかしそれで一安心ではない。実際に仕立ててみるとどこか仕立て栄えがしなかったり、着てみたらシワが気になったり、白が透けてしまう、といった問題が浮上する。これも仕立てた上で試着して初めて気づくこと、と経験上わかってはいた。それでもやはり足元をすくわれたような気分になる。胃の痛くなる場面だが、振り出しに戻り素材を選び直すしかない。今回はそれが一度ならずあったのだという。関係者全員が「失敗は許されない」と気を張っていたことも、自分たち自身でハードルを高くしていた部分があったかもしれない。

原画に忠実にプリントするには

20040705_2.jpg デザインやプリントの柄もいくつか検討されていた。原画をもとに、忠実にプリントができるかどうかも検証し、方法を詰めなければならない。工場は石川県小松市にある小松精練グループの株式会社ドムに担当してもらうことになった。難易度の高い商品のクオリティーをぎりぎりまで上げてゆく技術力が買われた結果だ。社長の松本和也氏自らが陣頭指揮に立ち、公式服装の選考会に提出されるサンプルの生地のプリントにとりかかった。松本氏の話。

「最初は、小さな見本をプリントします。全部で二十色ぐらいのバリエーションをお出しして、髙田さんにお見せするわけです。ここで細かい指摘や追加の注文をうかがって方向性を絞り込みます。候補が決まってくると今度は本番の機械にかけてプリントします。四十六メートルの原反を実際の機械で刷るわけです。ここでも細かい調整と相談を重ねます。
 最終的に選ばれたこの花柄は、日本の伝統を感じさせるものですね。色合いも、線の調子もそうだと思います。ただこれはなかなか難しいところもあって、ビビッドな色でもないしダークな色でもない、微妙な雰囲気を出さないといけない。ちょっとした色の変化で雰囲気が崩れてしまうんです。線の太さ濃さもいろいろですし、線が途切れ途切れになっているところもある。とにかく原画に忠実に再現できるかどうかが勝負だと思いました。終盤になると、朝一番から始めて明け方の三時までずっとプリント作業に立ち会ったこともありました(笑)」

 工場で本番用のプリント作業が進むところを見学した。担当の係員が機械から送り出される布に顔をかぶせるように近づけて品質をチェックしている。作業は安定した流れにのっている。しかし機械任せにはせず人の目が離れることはない。-こうして加工を終えた布は、海を越えて中国、南通の提携工場へと運ばれてゆく。

四十年前の日本もこうだった

20040705_3.jpg 南通の工場の最初の印象は、清潔だということ。整理整頓という文字の具体化という感じだった。上海にしても、南通にしても、見上げる高層ビルから視線を下に向けると、まだ普通の町並みは混沌としているし、衛生状態も「?」と思わずにはいられない場面を何度か見かけた。上海空港は今もSARSの感染予防のため赤外線カメラによる体温チェックをしているのだが、私たちがその前を通ったときは、数人いる係員はチェックすべきモニターには目もくれず雑談に花を咲かせていた。しかし、南通で宿泊したホテルは清潔そのものだったし、とても機能的だった。思い起こせば一九六〇年代の東京も、どこもかしこも工事中で、街全体が埃っぽく黄色い霞がかかっていたのではなかったか。 
 工場内ではそれぞれのフロアに分かれて、裁断、縫製、最終仕上げ、検品の作業が整然と静かに進んでいる。男性もいないわけではないが圧倒的に女性が多い。制服に身を包んだ彼女たちは化粧ッ気のない顔でうつむいて働いている。カメラを向けると恥かしそうにする。それでも作業の手は休めない。すぐに集中した表情に戻っていく。
 胸ポケット部分のミシンがけが目に入った。その作業を無遠慮に覗き込んで見ていたら、小さな物差しを頻繁に取り出してはポケットの位置や角度を確認していた。目見当には任せず基準に必ず立ち帰る。手を抜いていない。

 裁断され縫製を待つ布地はきちんとビニール袋にしまわれた状態でミシンの横にある台の上に置かれてある。工場長はこう説明してくれた。
「これは特別の仕事ですからね。万が一でも汚してはいけません。だから作業にとりかかっていないものは袋にしまっておくのです。細心の注意で慎重に作業を進めようという気持ちが大切です」

 縫製担当の女性のフロア長も、この仕事は特別なものだと言う。

「オリンピックの服装を担当できるのはほんとうに光栄です。この仕事にかかるときは必ずもう一度作業台のまわりを全部きれいにしてから始めています。すべてセミオーダーですから、サイズも一着ずつ違います。間違いのないように全員が集中してやっています。検品も二度やります。ユニクロさんの仕事はいつも二度検品ですから、それは同じですけど(笑)」

 縫製の作業を実際にやっている女性にも手を休めてもらい話を聞いてみた。
「私たちのこれまでの仕事が評価されて、大切なオリンピックの服装の仕事が来たんだと思います。大変誇りに思います」

 この空気は何だろうと考えた。自分の仕事に誇りを持ち、最高の品質を目指そうとする志があり、働くことで得る結果にも期待を寄せる率直な気持ち。「無心に働くことの美しさ」という言葉が浮かぶ。私たち日本人がどこか遠くに置き去りにしてしまった何かがここに生き残っている、と感じた。

 私たちは働くことそのものよりも、働く環境やシステムをあちこちいじりまわし汲々とする。結局は経済全体の動向がすべてを決定するという受動的な考えに沈みがちで、視線が定まらず落ち着くことがない。いつしか労働そのものではなく、労働をめぐる環境の変化ばかりが関心の中心になってしまったのではないか……。
 いやいや中国こそ、新しい富裕層の登場によって様々な矛盾が育ちつつある、という反論の声も聞こえてくるようだ。彼女たちの表情だけでは乗り切れない問題が蓄積し、この先で待っているのかもしれない。しかしそれでもなお、彼女たちの働く姿には、私たち日本人の昔の労働の姿が、絶滅した朱鷺のような遠い懐かしさの色合いで映し出されている、そんな気がしてならなかった。

 工場を後にするとき、建物を振り返ると、こういう意味の標語が大きな文字で掲げられていた。

-労働は信頼関係が大切。

-信頼は最高の品質が築く。 

 二〇〇八年には北京オリンピックが開催される。彼女たちはどのような気持ちでその日を迎えることになるのだろう。

SHOW YOUR COLORS

「あなたらしさを、思うぞんぶん発揮してください」。このテーマのもとにユニクロは、日本オリンピック委員会とともに、アテネオリンピック日本代表選手団公式服装を制作しています。選手たちの個性を豊かに表現できる豊富なバリエーションと、チームとしての統一感を実現させるため、デザインを髙田賢三氏に依頼。オリンピック経験者の方々にも参加していただいた選考委員会を経て、今回の公式服装は制作されています。

※前編はこちらからご覧下さい。


「考える人」2004年夏号

(文/取材:新潮社編集部、撮影:菅野健児[小松]、ユニクロ+新潮社編集部[南通])

詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。