2004年07月05日
オリンピック日本代表選手団公式服装の舞台裏・前編 ~「考える人」2004年夏号〜
~「考える人」2004年夏号(新潮社)より転載~
オリンピックの開会式で
選手たちが着る公式服装は
直前まで調整される場合がある。
開会式などで代表選手団が着るユニフォームは「公式服装」と呼ばれる。セミオーダーだから採寸、縫製には「時間」と「手間」が不可欠だ。代表選手が体を作り上げれば作り上げるほど、開会式前日まで最終調整が必要になるという。
オリンピックのユニフォームで鮮やかな記憶を残したのは、なんと言っても一九六四年の東京大会である。
アジアで初めて開催されるオリンピック、という晴れがましさ。その気分に拍車をかけたのは、テレビ受像機の普及とまだまだ珍しかったカラーでの中継放送だった。だからよほどのへそ曲がりでもない限り、誰もがテレビの前に釘付けになっていた。それが一九六四年という時代だった。
十月十日、開会式の最後に登場した日本代表選手団は、赤と白の上下「日の丸カラー」のユニフォームに身を包み、青空の下で一糸乱れぬ行進をみせた。まだ見慣れぬ眩しいカラー映像に、これほど単純明快でインパクトのある色の組み合わせはなかった、と思う。
開会式で選手たちが着るこのユニフォームを、正式には「公式服装」と呼ぶ。公式服装には開会式用、式典用、移動用の三種類がある。開会式用は文字通り開会式に、式典用は結団式などの公式の場に、移動用は渡航の際に着用するもの。「公式服装」は、選手たちが対外的、かつオフィシャルな場面で着る、重要な役割を持つユニフォームといえるだろう。
二〇〇二年 ソルトレークシティー
スピードスケートの清水宏保が銀メダル、モーグルの里谷多英が銅メダルを獲得した二〇〇二年冬季オリンピック大会。ユニクロは公式服装の制作 ・無償提供をこのソルトレークシティー大会で初めて担当した。ユニクロデザイン研究室に所属し、ウイメンズパターンチームのリーダーである宇山敦氏にとっても、もちろん何から何まで初めての経験だった。
「オリンピックのユニフォームにはユニクロだけが関わっているわけではありません。ミズノさん、アシックスさん、デサントさんの三社も担当されています。この三社は私たちとは違って経験もあり手慣れているんですね。オリンピック以外の場面でも選手たちと接触する機会が多いですから、選手のデータも入っている。でもうちはゼロから始めたので、情報も経験も何もありませんでした」
冬季オリンピックの公式服装を作るために宇山氏が担当したのは採寸、サイズ設定、制作である。しかしそれは代表選手が決定してからの作業ではない。最終決定後に採寸し制作に入っていたのでは縫製と最終調整が間に合わないからだ。決定する手前の段階から、つまり数百人にも及ぶ候補選手の採寸から仕事は始まる。競技種目によってはぎりぎりにならないと代表選手が決まらないこともある。可能性のある選手には時間を作ってもらい、一人一人採寸していくしかない。
「ところがですね、丁寧に採寸をして、服装が出来上がってくるでしょう? それを試着してもらうとサイズが合わないケースが多々出て来るんです。どうしてかというと、代表選手が決定する前の段階で採寸していると、長い時には三ヶ月近く時間が経過しているんですね。そうすると、この間に体型ががらりと変わっちゃう場合がある。大会に向けてからだを作っていくために、サイズが大きくなる場合もあれば、逆に小さく絞り込んでいく場合もあるわけです。
また、基本的なサイズサンプルでは合わない体型の方もいます。例えばスピードスケートの清水さんは、用意しておいたサンプルでフィッティングをしようとしても、鍛えに鍛えた腿が逞しすぎて、腿回りでパンツのサイズを合わせるとウエストが一〇センチ以上ぶかぶかになってしまう。四サイズぐらい大きいんですね。こちらの予想を遙かに超えていました。どれだけ厳しい練習がこのからだを作ったのかと思うと圧倒されました。これは凄い、と。
公式服装が選手に届いた時から、次々に電話がかかってきます。サイズが合いません、入りません、大きいです……という連絡です。微調整で済む場合もありますが、やはり作り直しも出てきます。全体の約半数はサイズ交換とお直しでしたね(笑)」
糸と針とアイロンを持って現地に飛ぶ
代表選手によっては、採寸後に海外遠征に旅立ち、そのままソルトレークシティーに入り試着するケースもある。全く本人には会えず身長しかわからない選手もいた。
「だからもうぎりぎりまで作り直すんです。私たちも交換用の公式服装を抱えてソルトレークシティーに飛びました。開会式の二日前から選手に時間をとっていただいて、選手村の地下倉庫を借りて、そこにまるまる二日間、私たちスタッフ三名がこもって作業です。地下ですから窓もない(笑)。もうひたすら作業をするだけです。パンツの丈が微妙に違うような場合には、それをホテルに持ち帰って手作業で補正します。夜更けまで黙々と手を動かしてました。ホテルの部屋でも休まる暇は一切なかったですね」
「今回は、冬季オリンピックと違って、体格のバリエーションはさらに増えます。もちろん冬季でもスピードスケートのようなケースもありますが、一般的には山の上から降りてくるスキー競技だと、それほど特別な体型にはならないんです。ところが夏季オリンピックになると、柔道の選手やバレーボールの選手みたいに身長一八二センチの僕でも背伸びして採寸するぐらいの選手が何人もいますし、そもそも選手団の人数も多い。ですから採寸の目安となる仮のジャケットを男性用に二十七サイズ、女性用に十四サイズ用意して、実際に試着していただき、最終型に微調整を加えます。もちろん全部セミオーダーですから、袖丈などを調整し終わると、最終的には四百種類以上のジャケットを制作することになります。
さきほども申し上げたとおり、候補選手の段階から採寸しますから、採寸する人数はふくれ上がります。ライフル射撃では三十名ぐらいの選手を採寸しましたけれど、実際にアテネに行かれる方はその四分の一ぐらいだと思います。採寸したからには皆さんにアテネに行っていただきたい、というのが正直な気持ちですけれど」
意外に大きく、意外に小さい
採寸のお話をうかがった上で取材させていただいたのは、水泳の代表選手たちやビーチバレーボールの選手、コーチ、大会役員の公式服装の採寸の現場だった。
東京辰巳国際水泳場でのアテネ最終選考会を終えた翌日の四月二十六日。東京都北区にある国立スポーツ科学センターの会議室には朝からユニクロのスタッフが十名ほど詰めていた。ひとりひとりの採寸作業が粛々と進められている。
昨日代表に決まったばかり、という選手もいる。昨夜のスポーツニュースで見た顔がつぎつぎと会議室に現れる。代表選手に選ばれることには様々な感情が行き来するに違いない。しかし今日はほとんどの選手がリラックスした表情だ。年相応の若々しく幼いような素顔がのぞく瞬間もある。選手たちを意外に小さいように感じることもあり、やっぱり大きいなあと見上げる気分になることもある。
宇山氏を初めとするスタッフはきびきびと丹念に採寸作業を進めてゆく。間違いのないよう名前と顔を一致させて確認するポラロイド写真もその場で撮影し、採寸を記録するシートに貼り付けておく。採寸の項目には体重、身長の他に、背丈、肩巾、背巾、桁丈、上腕、首回り、胸囲、胸巾、ウエスト、ヒップ、股下、もも回り、ふくらはぎ回り、と項目が並ぶ。
憧れの存在だった髙田賢三氏
五十名の採寸を終えた宇山氏は少しほっとした顔に戻っていた。
「今日はやっぱり肩ですね。肩の発達が凄いです。肩のサイズでジャケットを合わせるとお腹がだぶだぶになるし、お腹で合わせたら肩が入らない体型です。それでも用意しておいたサイズサンプルで採寸できましたから予測の範囲です。ただ、今日のジャケットは採寸のためのサイズサンプルだとご存じない選手もいて、『うわっ、ダッサー』って言われちゃいました(笑)。いやいやこれは本番のものじゃないダミーなんですって説明しておきましたけど(笑)」
アテネオリンピックの公式服装はパリ在住の日本人デザイナー、髙田賢三氏が担当している。このときにはすでにデザインとその選考も終えて、生地のプリントや縫製の作業が始まっていたが、正式発表の六月九日までは関係者以外の目には触れない。
公式服装には「SHOW YOUR COLORS」というテーマ、メッセージがある。すなわち「あなたらしさを、思うぞんぶん発揮してください」。
赤と白の上下で一糸乱れぬ行進をした東京オリンピックから四〇年の時が経過した。どちらかといえば集団主義的に見えた日本のオリンピックのあり方が、一人一人の選手の個性を認めて、生かし伸ばす方向へと変わりつつある。それは日本の社会の成り行きと相似形をなすものかもしれない。個性というテーマを象徴的にデザイン化することと、定型だからこそ「ユニフォーム」という相反する要素をどのように両立させるのか。それが髙田賢三氏の課題だった。
実は宇山氏にとって「髙田賢三」という名は、ファッションの世界で働くことを考え始めた頃からの憧れだった。学生時代には髙田氏のファッション・ショーをフィッターとして手伝ったこともある。仕事を終えた後、髙田氏に「頑張ってください」と声をかけられ、握手をしてもらったことが忘れられない。
「こういう形でまた一緒に仕事をさせていただけることになって本当に光栄だと思っています」
公式服装の打ち合わせでパリの髙田賢三氏宅へも四回訪れた。
「髙田さんの凄いところは最後の最後まで細かいところをつめる姿勢ですね。妥協されないですし、あきらめない方です。だからぎりぎりのところで修正や変更が出てきますが、髙田さんの仕事に対する姿勢と今回の日本代表選手団公式服装に対する思いが痛いほど伝わってきますから、私も何とかしなければとなるんです。でも私たちに厳しいとか容赦ない、ということは全くなくて、人に対しては優しくて寛容な方です。厳しいのは仕事に対する姿勢なんです」
宇山氏の柔らかな物腰にもまた髙田氏と同じく「最後まであきらめない」姿勢が見えてくる。
アテネオリンピックの開会式は八月十三日。その三日前には宇山氏もアテネ入りする予定だ。
(後編へ続く)
「考える人」2004年夏号
(文/取材:新潮社編集部、撮影:菅野健児)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。