2005年04月04日
プリントTシャツの舞台裏(1)ユニクロ・クリエイティブアワード2005 ~「考える人」2005年春号〜
~「考える人」2005年春号(新潮社)より転載~
Tシャツを、もっと自由に、面白く。
ユニクロTシャツプロジェクト2005
たぶん売れない。それでも、やってみたい
昨年の今頃、ユニクロのTシャツプロジェクトについて、関係者にいろいろと取材をした。面白いと思ったポイントは一点。あまり沢山は売れないだろうと予想しても、商品化するものがある、ということだった。どんな世代が何を求めているのかを周到に調査して、その動向にあわせて商品を開拓し市場に送り込む、そんなマーケティングの方法がすべてを動かしているわけではないらしい。これは少し意外なことだった。
アンディ・ウォーホル、バスキア、リキテンシュタインといった高名なアーティストの作品をプリントしたものとは別に、去年「学生コラボTシャツ」という枠組みを設け、日本とイギリスの学生から作品を募り、選考をして、彼らの作品をユニクロのプリントTシャツとして世の中に送り出した。全体の販売数からすれば僅かである。しかし、選考作業にはかなり手をかけた。入選した学生たちには、自分たちの作品が中国の工場でプリントされるのを見学してもらう研修旅行まで用意した。
入選作のなかに、ロンドンから応募された色鮮やかな「ドラゴン」という作品があった。関係者に聞けば、「Tシャツ向きの絵柄ではない」「再現性を高めるためには特別に八色を使い、機械ではなくシルクスクリーンと同じように手刷りで一枚一枚刷るしかない」と、やっかいな要素ばかりを抱え込んだ作品だった。しかし、作品として「圧倒的に面白い」と判断する人間が複数いたから、「たぶんあまり売れないだろうけど、最善をつくしてやってみよう」となったらしい。
そんな「青臭い」ことをやっていて大丈夫なのか。そう思わないでもないこのエピソードが、印象に残った。
そして一年が経ち、今年もまたTシャツのシーズンになった。美大を卒業した後、ユニクロに入社し、Tシャツプロジェクトの実質的な統括責任者となり三年目の、進藤宣英氏に再び話を聞いた。
世界の新しい才能をどうやって引っ張り出すか
「テーマは今年も同じです。Tシャツを、もっと自由に、面白く。ということ。僕にとっては永遠不変のテーマになってきたかもしれません。今年特に意識したのは、もっと広く世界に目を向けよう、ということでした。世界にはまだ知られていない才能があるはずで、その才能を引き出したい、と思ったんです。今回はロンドン、パリ、ニューヨークを基点にして、たった今、活躍し始めたばかりの才能を積極的に探し出し、プリントTシャツに登場してもらおうというのがテーマでした。この三つの都市はどうしてもやりたかった。世界のファッションの発信地だし、都市としても活気に溢れているし、才能が集まる場所だと思うからです」
「若い方なら御存知かもしれませんが、パリには『コレット』というとても有名なセレクト・ショップがあります。衣服はもちろん、本や化粧品、花やCDも売っていますし、ギャラリーでは新しいアーティストの展示もする。地下はランチも食べられるウォーターバー。『コレット』に行けば、今何が面白いのかが手にとるようにわかる。そういう店です。『コレット』というのはオーナーの女性の名前です。実質的な中心人物は、その娘のサラさん」
「今は世界中で人気の奈良美智さんのアートも、フランスでまっ先に紹介したのは『コレット』でした。アーティストを紹介するセンスにしても、モノを選ぶ視点にしてもずば抜けている。もしTシャツプロジェクトを『コレット』と一緒にやることができたら凄いんだけどね、なんて話をしていたわけです」
雑誌の退潮とセレクト・ショップのパワー
進藤氏の話を聞いているうちに考えたのは雑誌のことだった。ある種の雑誌が流行をつくる時代はゆるやかに終わりつつあるのではないか。読者はいま何が流行っていると「されている」のかを一応雑誌でチェックはするけれど、さほど煽られるわけでもない。ときどき「ピン」と心のアンテナが反応することがあるとすれば、編集者や書き手が本気で何かを気に入って紹介している場合なのかもしれない。雑誌は不特定多数の読者の最大公約数的な関心を意識するあまり、自分が何を面白いと感じているかということを後回しにしているうちに、本質的なパワーを失いつつあるのではないか。
流行の牽引車としての役割から雑誌が少しずつ後退し始めた頃、セレクト・ショップが登場した。それがたとえば「コレット」という店。メディアには顔写真ひとつさえ登場しないコレットと娘のサラ。しかし誰もがサラという個人が気に入ったものだけでこの店が構成されていると知っている。マーケティングで選ばれたのではない、個人の判断基準で集められたものの力。
もちろん、今の時代には「知る人ぞ知る凄い店」が、そのままでいられるはずもない。すでにありとあらゆる雑誌が「コレット」を取り上げ、一九九七年にオープンして十年も経たないうちに、世界で最も有名なセレクト・ショップになってしまった。進藤氏の話に戻ろう。
「デザイン研究室の松沼君(編集部註・松沼氏は後篇で登場)が、サラさんのメールアドレスをどこからか調べて来たんです。とにかく駄目もとでメールを打ってみよう、ということになりました、一緒に仕事ができないだろうかって。そうしたら間もなく返信が来たんです。彼女は何度も来日していて、ちょうど去年のTシャツプロジェクトの時に、ユニクロの原宿店ものぞいていたんですね。原宿店は店全体をTシャツのための特別なディスプレイに変えていたときでした。Tキューブと呼んで、店をTシャツでつくった巨大な立方体に見立てて展示していた。サラさんのメールには『Tキューブは面白かったわね。コレットにそんなに興味があるのなら、一度話をしましょうか』と好意的なことが書かれていました。まさかユニクロの店に来ていたなんて思いもしませんでした。この企画を進めていた人間と一緒に大急ぎでパリに行くことにして、サラさんに会う準備にとりかかりました」
「パリだけでなく、ロンドン、ニューヨークでも同じコラボレーションを考えていましたから、他のキーパースンを選び出し、同時に連絡をとっていました。ロンドンは『マハリシ』というブランドをやっているハーディー・ブレックマン。『マハリシ』には常に新しい才能が集まっていて、メジャーなデパートも彼には一目を置いています。ロンドンなら彼しかいないと思って接触したら、『それならぜひ自分にやらせてほしい』といううれしい反応が返ってきたんです。彼は最近、カモフラージュ模様を徹底的に調べた分厚いビジュアル本を出したりもしています。不思議な奥行きのある、個性的な引き出しをいっぱい持った人ですね」
「ニューヨークは『ステイプル・デザイン』でした。サラさんの『コレット』がスタートした一九九七年頃、ファッションやグラフィック、マルチ・メディアまで、様々な分野を横断的にデザインする新しいユニットとして、ニューヨークで活動を開始した人たちです。彼らが大きくなるきっかけは、中心人物のジェフがまだ学生の時に、自分でデザインして着ていたプリントTシャツがファッション業界で注目されたことから始まっています。Tシャツが原点の『ステイプル・デザイン』は、今ニューヨークでいちばん活気があるんじゃないかと思いますね」
「こんな風に動き始めたら、次々と面白いように話が決まっていきました。サラさんに会うのにあわせて、ロンドン、ニューヨークにも足を運んで、たった五日間で彼ら全員と話をし、握手をして、仕事は動き始めたというわけです」
「最初はサラさんも、自分たちがユニクロによって消費されてしまうんじゃないか、と心配していたはずです。でも僕らが望んでいたのは、彼女の目なんです。彼女が探し出してくる新しい面白いアートを、適正な価格でより多くの人に紹介したい。『コレット』というブランドが欲しいんじゃない。『コレット』が呼び込むことのできる何か新しいもの、新しい才能をTシャツという舞台に引っ張り出したいんだ、と。サラさんは頭のいい人だから、こちらの意図をよくわかってくれて、協力を約束してくれました」
プロにはない荒削りなものを平気でつくり出すパワー
「アートの世界というのは世の中に認知されるまで時間がかかるんです。有名なアーティストの作品も大切なんですけど、Tシャツでそれだけやっていると、『今年はこれを持ってきました。一年で売り切りました。はい、じゃあ次』みたいな、それこそ消費のサイクルだけになってしまう。学生コラボTシャツも、やはり未知数の才能を引き出して一緒にやりたいという気持ちで始めたことでした。やってみてつくづく思ったのは、やっぱり若い才能って凄いな、ということです。売れるか売れないかわからない、プロにはない荒削りなものを平気でつくり出すパワーがある。でもそれって、創造することの原点じゃないですか。だから短期的には大きな利益につながらないかもしれないけど、長期的な視点に立って本物の才能を送り出すことができれば、やがて僕らの目標が達せられると思っているんです」
「国内、海外から審査員を迎えて、今年から『ユニクロ・クリエイティブアワード』を始めたのも、そういう理由からでした。どの国から誰が応募してくれてもかまわない。そのなかから自分たちで新しい才能を見いだし、世の中に発信したい。学生コラボで手ごたえのあったことを、さらに枠を広げてやってみようということでした。当初は五千件の応募があれば成功だと思っていました。蓋を開けてみたら一万七千件以上も作品が集まってきた。本当にびっくりしました」
「数百点に絞る第一段階だけでも一週間以上かかりました。このプロジェクトに関わる人間が毎日の仕事を六時ぐらいまでに切り上げて、それから夜中の十二時ぐらいまで毎日選ぶ作業をしました。とにかく誰か一人でもチェックしたものは残していき、誰のチェックも入らなかったものは落とす、というシンプルな作業なんですが、これだけでも大変」
「十あるうちの六か七ぐらいは誰かに影響を受けているな、というものですね。ところが、『こんなのどうやってTシャツにするの?』っていう凄いのもけっこう出てくる。こっちが面白がるものは、デザイナー、生産担当、そして工場が苦労することになるんですけどね(笑)」
その苦労については、このレポートの後篇で
「コレット」のサラさんにEメールで質問
Q1 パリではセレクトショップ・ムーブメントはいつ始まったのでしょう?
A 私たちが店をオープンしたのは1997年の3月です。「セレクトショップ・ムーブメント」って言われても・・・。私たちの店がオープンしたときには、すでに何軒かのセレクトショップがあったけど、彼らが扱っていたのはファッションだけでした。
Q2 セレクトショップが消費者の人気を得ているのは何故だと思いますか?
A 同じ店の中で、ファッション、デザイン、新しいCDを見つけることができるし、美味しいコーヒーを飲むことができて、素晴らしい展示会を見ることができたりもするからじゃないかしら。
Q3 どうやって品物を選んでいるのですか?
A 自分の心に従うだけ。
Q4 ファッションとしてのTシャツをどう考えますか?
A クラシックでベーシックなもの。つねに必要な何か。つまりファッションの本質そのものだと思う。
Q5 ユニクロとのコラボレーションについてどう感じていますか?
A すごいチャレンジだと思う。ユニクロはアーティストに大きな自由を与えてくれた。
Q6 ユニクロについて、何かエピソードがあったら教えてください。
A 明治通りに面した、Tシャツのための白いキューブのコンセプト・ショップを見つけたときのことをよく覚えています。あれは本当に最高だった。もうやっていないのが淋しいわね。
「考える人」2005年春号
(文/取材:新潮社編集部、撮影:広瀬達郎)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。